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ユダヤ神話(一神教)とギリシャ神話(多神教)はなぜ和解できたのか?

ハニワくん

先生、質問があるんですけど。
では皆さんにもわかりやすいように、Q&A形式でやりとりしましょう。

先生

ユダヤ神話(一神教)とギリシャ神話(多神教)はなぜ和解できたの?わかりやすく簡潔に教えて!

イエス・キリストという『目に見える人格神』が登場し、彼が唯一神の代理の役割を担ったからです。

ハニワくん

なるへそ!
も、もっと詳しく教えてくだされ!

博士

ユダヤ神話は『一神教』で、ギリシャ神話は『多神教』でした。

ですから、そのままいくと考え方が衝突し、『どちらが正しいか』という対立につながるわけです。人格神が当然だったローマの精神世界において、目に見えないその神の存在は受け入れられませんでしたし、それはユダヤ人にとっても同じことが言えました。

 

しかし、イエス・キリストという『目に見える人格神』が登場し、彼が唯一神の代理の役割を担い、ヤハウェ(唯一心)とイエスが一体化します。ローマ人は目に見えるので理解できるようになり、ユダヤ人はイエス・キリストを簡単には容認はしませんが、『キリスト教』という教えが生まれ、ここにある様々な問題を解決しました。

うーむ!やはりそうじゃったか!

博士

ハニワくん

僕は最初の説明でわかったけどね!
更に詳しく知りたい方は、以下の記事をご覧ください。

先生

 

一神教と多神教に分かれた解釈

自然現象を説明するには『神』が必要だった。では、その『神』はどこから生まれた?

 

この話の続きだ。そうして生まれた『神』だが、更にその神についての見解はこの2つに分かれていく。

 

  1. 一神教
  2. 多神教

 

前者は『唯一神』であり、後者は『様々な神々』である。つまり、アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)が前者で、ヒンズー教やギリシャ神話等に出てくる神々は、後者ということになる。

 

各宗教における唯一神の呼称

ユダヤ教 エホバ、ヤハウェ(ヘブライ語)
キリスト教 ゴッド(英語)
イスラム教 アラー(アラビア語)

 

MEMO
呼び方は違うがすべて同じ神を指す。

 

多神教の例(ヒンズー教)

破壊神 シヴァ
創造神 ブラマ
維持神 ビシュヌ

 

MEMO
『ドラゴンボール』の世界はこの多神教の考え方を取り入れている。まああれは漫画なので、すべてをMIXしているような感じ。

 

 

参考 破壊神ビルス東映アニメーション

 

またギリシャ神話も多神教だ。

 

STEP.1
カオスから天空神ウラノスが生まれる
STEP.2
ウラノスが大地の女神ガイアと結婚する
STEP.3
巨人神族タイタンを生む
STEP.4
ギリシャの神々の神話に繋がる

 

 

各神話の特徴

ユダヤ神話 絶対神 一神教
ギリシャ神話 人格神 多神教

 

このユダヤ神話の『ヤハウェが唯一神』という発想が、多様な民族から成っていたローマ帝国を精神的に融合させる方法だと考えられる。下記の記事で『人間を統率するためには『人間以上の存在』が必要だった』と書いたわけだが、同じように、育った環境の違う人間たちを一つにまとめるには、『唯一神』という絶対的な象徴が必要だったわけだ。

 

人間を統率するためには『人間以上の存在』が必要だった!

 

妥協案を探した人間

しかし、先ほど考えた一神教と多神教の矛盾が、いずれ衝突することになる。『この世界を一つにまとめるため』に、人々は様々なアイディアを画策する。

 

STEP.1
ユダヤ民族が『唯一神』を想像する。
育った環境の違う人間たちを一つにまとめるには、『唯一神』という絶対的な象徴が必要だった。
STEP.2
ユダヤ教を世界化させようとする
STEP.3
ギリシャローマの人格神と衝突する
人格神が当然だったローマの精神世界において、目に見えないその神の存在は受け入れられなかった。
STEP.4
イエス・キリストが登場する
目に見える人格神が登場し、彼が唯一神の代理の役割を担う。
STEP.5
ヤハウェとイエスが一体化する
STEP.6
目に見えるので理解できるようになった
キリスト教は創造主による創造説と進化説が結合し、多様な神話的伝統をもつ多くの民族を吸収できた。

 

 

これに関しては、『もしイエスが神(真理・愛)と一体化していたなら』の記事を書いた私にとって、非常に興味深い話だ。

 

 

神と一体化したイエス

そこに私が書いたのはこうだ。

 

知恵の書 第13章1節にはこうある。

『神を知らない人々は皆、生来むなしい。 彼らは目に見えるよいものを通して、 存在そのものである方を知ることができず、 作品を前にしても作者を知るに至らなかった。』

 

知恵の書 第13章6節にはこうある。

『とはいえ、この人々の責めは軽い。 神を探し求めて見いだそうと望みながらも、 彼らは迷っているのだ。』

 

知恵の書 第13章7節にはこうある。

『造られた世界にかかわりつつ探求を続けるとき、 目に映るものがあまりにも美しいので、 外観に心を奪われてしまうのである。』

 

知恵の書等にあるように、今の時代もそうだが、この時代でも人々は、『目に見えるもの』だけに囚われる傾向が強かった。イエスが生きた時代は、哲学でいう素朴実在論が人間の思考を支配していて、夢で見ることが、昼間に現実で起きたことと同じ重みをもったという。処刑されたイエスと夢の中で出会い、話をしても、生きているイエスと会ったのと同じように受け止められるというのだ。

 

夢で見た世界を『現実だ』と解釈していた時代があった?

 

つまりそれは、

『夢だろうが真実だろうがお構いなしに、人間達は自分の目で見える世界だけを信用して生きていた』

 

ことになる。そこでイエスは、『擬人化』という発想に至った、と仮定するのだ。そうすれば、それは『見える』ので、

 

イエスの言葉は神の言葉だ

人々

 

という解釈に繋がり、人々はイエスの話を通し、神を見ることが出来るようになるわけだ。

 

 

…私が書いたこの数年前の見解は、あながち大きく的を外していなかった。それどころかかなり本質をかすめていたと言っていいだろう。ただ、私の場合『イエス自身が』自分を神と一体化させ、目に見えるものしか信じない人々を善き方向に導こうとした、というシナリオである。しかしこの本が言う見解は、『周りの人間がイエスをヤハウェ(神)と一体化させ、ヤハウェの存在を信じさせた』ということである。

 

ほぼ同じことなのだが、微妙に違う。しかし、その根幹で一致する『イエスが神と一体化させ、人の目に見えるようにした』という考え方は、私と全く同じものだったのだ!

 

MEMO
更に厳密に言うと、私の『汎神論』的な発想と、彼らのした『有神論』に近い発想は意味が違っている。
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