高村光太郎

高村光太郎とは(画像

日本作家。生誕1883年。高村光太郎は、1883年、彫刻家高村光雲の長男として東京で生まれます。24歳の時にニューヨークに留学、その後、ロンドンやパリにも渡り、西欧の近代的で自由な精神を学びました。帰国後は旧態然とした日本の美術界を批判しつつ、彫刻家、画家、詩人として活躍します。1914年、詩集『道程』を発表、同年、画家長沼智恵子と結婚しますが、智恵子は統合失調症を発症し7年の闘病ののち1938年に逝去します。1941年に発表された『智恵子抄』は、智恵子との愛の日々をつづるヒューマニズムに溢れる詩集として今も愛読されています。

 

光太郎の死の翌年、1957年に発表された友人の佐藤春夫による『小説智恵子抄』からも、二人を貫く至純の愛を垣間見ることができます。「私はあなたの愛に 値しないと思ふけれど あなたの愛は 一切を無視して私をつつむ」という光太郎の言葉に表れているように、智恵子は死後も光太郎の中で生きていました。

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