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一人前と一流の違い

いつかのPRESIDENTで、小宮コンサルタンツ代表の小宮氏が語ったそれは、的を射ている。

『一人前と一流は違います。一流になりたければ、人が見逃しがちな基礎や本質を自分の頭と体にきちんと叩き込まないといけません。』

 

20代後半にもなってピーターパンシンドロームから抜けられない人間も、30代、40代、50代と年齢を重ねていくうちに、いつまでも10代のままではいられないことを、『強制的に』思い知ることになる。

 

これを考えたとき、『強制的』に強いられる人生を最も嫌う私は、かつての恩師以上のメンターも現れなかったことも理由の一つだが、若いうちに自分一人の力で道を切り開くしか選択肢がなかった。それ以外にいずれ来る『強制』を避けて通る道は、皆無だったのである。おかげでいろいろと代償を払い、いばらの道を歩くことになった。だが、今ではあの時の私の決断は正しかったと心底から言うことが出来る。

 

人が見逃しがちな基礎や本質とは、どういうことだろうか。それは例えばこの日本で言えば、

 

仏教(仏典)』である。『キリスト教(聖書)』である。『イスラム教(クルアーン)』である。『儒教(論語)』である。 『無知の知』である。『7つの習慣』である。『神』であり、『仏』であり、『アラー』であり、『真理』であり、『義』であり、『原則』であり、『第2領域』である。

 

 

決して『法律』や『常識』ではない。その『法律が出来た背景』や、『常識になってしまっている理由』である。それが、人が見逃しがちな基礎や本質である。『見逃しがち』というぐらいだから、その辺を見渡してすぐに見つかるようなものではないのだ。 立ち止まって、深く内省しなければ、それを見つけられない。それを見つけることに時間を割いている人間こそが、ここでいう『一流』に値する人間なのである。

 

『宗教を持たなくてはならない』 などとは一言も言っていない。私など、生涯無宗教者で生き貫くつもりだ。いろいろと、見誤ってはならない。