名言を自分のものにする

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愛と知恵(=真実)


哲学(フィロソフィ)という言葉は、『愛』と『知恵(=真実)』
という意味の二つのギリシャ語から成り立っている。
したがって、哲学者とは、真実を愛する者を言うらしい。
だとしたら俺は間違いなく哲学者だということになる。
『われわれ人間は、人間の本質と、人間の行動の裏にある真実を探す使命を
持っている』と『成功哲学』には書いてあるが、
まさにその類は俺の分野だ。
俺の昔からの葛藤のテーマと言えば、『真実はなにか?』ということだった。
それももちろん、環境も大きく影響している。
依存していたほどしていた家族との価値観の違いに悩み、不良に生きたが、
その背景には『一体誰が、何が正しいのか?』ということが、常にあったのだ。
真実を鋭く追及するようになり、その洞察力の鋭さには自分でも気づいていて、
子供のころはよく『探偵になる』と言っていたものである。
17歳の頃、その洞察力に周囲を驚かせ、恩師からは
『人間ウォッチャーかお前は』
と、その鋭さ、観察力をあきれられたほどである。
ある仲間には
『俺よりもあなたのほうが俺のことをよく知っている』
と言われていたし、
起業後も、その荒波の中で、何度も波にのまれそうなことがあったが、
全ての波を”予測”、スムーズに”波乗り”し、時には完全な心理戦で、年齢も
規模も桁が違う、虚勢心の強い相手社長に謝罪させた。
心理学や哲学、自己啓発の本は非常に興味深いし、真実に対しての
執着心と言えば、恩師から弁護士を目指せと言われたほどだ。
しかし、真実というものは、とっても尊いものだ。
何が正しくて、何が悪いかが定まっていないこの世では、もはや法律だけでは
善悪を正確に判断することはできない。
だからこそ、悪いことをしてもお金を稼ぎ、”表面的には”優雅な暮らしをすることが
できるし、それがまかり通るということがある。
つまり、ズルをしようと思えばできてしまう、抜け穴がある。それが、この世なのだ。
だからこそ、『真実』が重要になってくる。
真実さえ追及していれば、必ず心が満たされる日が来る。
真実を追求するということは、無限にある人生の道から選ぶ選択肢の中から、唯一、
『正しい道』を歩き、人生を全うするということだ。
その道は特に光り輝くわけでもなく、ほかの無数の道と同じようにそこに存在するが、勇気を出して歩き出せば、その道の強靭さに気付いてくる。
他の道はすぐに崩れたり、途中で途切れていたりして、何ともろいことか。
中には、他の人間を犠牲にし、人間で道を作らないと前に進めないという道も存在
する。はたして、そこまでしてその道を進むべきなのだろうか。
しかし真実の道は違う。どんどん道の幅が広くなってくるのだ。
そのうち路地裏のように細かったその道はみるみる大きくなり、広大な大地になる。
頑丈で、頼りがいがあって、綺麗な花や尊い生命を育む、大地になる。
ちょっとやそっとの天災ではびくともしない。また、その大地を歩きだせる。
一生を終えるころは、安らぎや、感動溢れるその広大な大地の中で、安らかに
眠ることだろう。
これが、俺が描く『真実の道』のイメージだ。
自己実現。
真実を生きるということは、それくらい価値のあるものなのだと信じて疑わない。

 

 


by:一瀬雄治 (Yuji Ichise)
サルベージエンタープライズ株式会社代表取締役社長。
1983年、東京都生まれ。


愛と知恵(=真実)

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