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『ボヤージュ・オブ・タイム』 レビュー(感想)と考察

『ボヤージュ・オブ・タイム』

ポスター画像出典:『ボヤージュ・オブ・タイム公式サイト

 

年間735本の映画鑑賞の経験があり、コロナ前には13年間連続で毎週映画館で映画を鑑賞!3000本以上の映画を観た映画好きが、映画の紹介をさせていただきます!

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※検索したら『年間700本』という人が一番っぽかったから、皆様に映画への熱意をお伝えするためにとりあえずその人以上の数字を出しただけです・・

 

『レビュー(感想)と考察』

この映画の価値が理解できる人はとても賢く、恐らくほとんどの人は『自然探検ドキュメント』程度の表層にしか見えていないだろう。私がツイッターでこの映画の価値を説明しようとしても、

 

『見ました!森羅万象的な!』

 

という、浅薄なコメントをする人がいるだけだった。悪口ではない。私もそういう時期があった。だが、言葉は全てを露呈させる。残念ながら彼はこの映画を理解できていないだろう。それはその後に続く私の説明の話の中で、『それ以外コメントがなかった』ことが何よりの証拠だ。何の言葉に対し、どんな言葉をどのタイミングでかけるか。それですべてが露呈するのである。

 

私は、監督のテレンス・マリックのその前の映画『ツリー・オブ・ライフ』を観て、それがあまりにもアーティスティック過ぎて理解できなかった為、この類の映画は敬遠していた。いくらブラピやショーン・ペンが出る豪華キャストだったとしても、関係なかった。だがそれは恐らく私が勉強不足だったからだ。その彼と当時の私は、同じレベルだったと言えるだろう。

 

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私はその後、多くの勉強経験を積んだ。500人の偉人の8000の言葉を内省し、歴史、哲学、宗教、神話を一から学び直し、3000本以上の映画を観た。私自体は無宗教だが、クリスチャン『を自称する』両親に育てられ、宗教に悩まされた身だから、人間心理や哲学について考えることは自然だった。

 

その映画は最初、考案したパートナーに「気が狂っている」と思われたらしい。やはりそれだけ難易度が高い映画なのだ。実はそっちはまだ見直してはいないのだが、同じ監督の映画であるこの『ボヤージュ・オブ・タイム』を観るのは、私の中で自分の成長を確認するための一つのテストだった。

 

  1. ハーバード大学で哲学を専攻
  2. 1965年に首席で卒業
  3. オックスフォード大学大学院に入学
  4. 日常言語学派の哲学者ギルバート・ライルの元で学んだが、キェルケゴールやウィトゲンシュタインに関する意見が合わず、博士論文を出さずに中退
  5. 1969年にノースウェスタン大学からハイデッガーの著作の翻訳本を出版
  6. マサチューセッツ工科大学で哲学を教える

 

これが彼の学歴だ。また、彼の弟は自殺している。これだけで、彼の頭脳がどれだけ優秀で、あるいは内省的かが分かるだろう。映画としては彼は『ダーティハリー』にも脚本家として関わっていて、難解で芸術的な映画が多いが『アメイジング・グレイス』などは私が今まで観た多くの映画の歴史の中でTOP10に食い込むほどの名作だった。

 

この映画は、『宇宙の誕生と死を探求する内容であり、40年以上にわたって取り組んできた「私の最大の夢のひとつ」』だという。彼ほどの頭脳の人間がそれだけ長い間練りに練って作り上げた啓蒙作品は、言語が分からない遠い異国のこの私にしっかり届いた。

 

3d space scene

 

だが、確かに冒頭の彼のような感想を持つ人が大勢出てしまうのはわかる。ほとんどが映像で、ブラッドピットやケイトブランシェットがナレーターとしてポエムのような言葉を少し読み上げていくだけだからだ。

 

だが、その映像の一つ一つにメッセージ性があり、深遠なのである。私は今監督について調べているくらいだから、彼にこうした学歴があるということは知らなかったわけだ。だが、同じような勉強をした私には、ちゃんと彼の言いたいことが分かった。掘る場所は違えど、『掘った先にある景色は同じ』なのである。

 

この映画は、学生時代、いや、まだ子供が学生にすらなる前に、家で流しておくべき作品である。そうすればその子供たちは普通に生きていたら得られない『深い視点』と『広い視野』を持つことができ、自分たち人間が地球や宇宙の覇者ではないこと、そして我々が『宇宙船・地球号』の乗組員であることを理解する。

 

Many caranx underwater / large fish flock, underwater world, ocean ecological system

 

私も彼のように多くを学び、人生を内省し、考察して『見極めた一つの結論』がある。だから彼のようにこうしてそれを世に届ける活動を応援したい。私は宗教を強要され、無宗教として生きていくことを決めた人間だから、宗教の布教のようなことはしたくない。だからブログ以外で一切私が突き詰めた叡智を世に伝えてはいないのだが、内容が難しすぎてもちろん浸透はしていない。恐らく、子供が理解できる内容ではないのだ。

 

きっと彼の主張も言語化してしまえば同じようになるだろう。だから映像ではほとんど言葉が出てこないのだ。しかしだからこそ映像が厳選されていて、深遠さが磨かれているのである。

 

確かに冒頭の彼が言うように、表層は『自然ドキュメンタリー』である。だが、例えば猿や数匹の動物たちを終始追っていくなら考えるのはそれらのことでいいが、『切り替わる映像の一つ一つ』は、哲学的に構成されているのだ。だから身構えていなかった私が、映画を鑑賞中に自然と哲学を始めたのである。そのスイッチを入れたのだ。そういう仕掛けがされているのである。啓蒙作品なのだ。

 

ハーバードを首席で卒業し、MITで哲学を教える彼のすべては理解していないが、この作品はあまりにも素晴らしすぎると、3000本近く映画を観た私が断言しておく。

 

 

『この映画のジャンル』

 

 

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