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『蟹工船』 レビュー(感想)と考察

『蟹工船』

ポスター画像出典:『映画.com

 

 

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蟹工船』(かにこうせん)は、文芸誌戦旗』で1929年昭和4年)に発表された小林多喜二の小説である。いわゆるプロレタリア文学の代表作とされ、国際的評価も高く、いくつかの言語翻訳されて出版されている。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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『レビュー(感想)と考察』

小林多喜二の小説を映画化。プロレタリア文学の代表作とされ、国際的評価も高く、この小説はいくつかの言語に翻訳されて出版されているという。確かに私も感慨を受けた人間の一人だ。小林多喜二の好きな言葉があって、

 

それがこれなのだが、だからということもあり、この映画は真剣に観たいと兼ねてから考えていた。すると、やはり中々教訓性の高い映画だった。『プロレタリア』と言えばマルクスだ。キーワードは以下の通り。

 

  • ブルジョワジー(資本家)
  • プロレタリアート(労働者)

 

先に小難しく書くが、マルクスは、『資金奴隷たる労働者は団結し、暴力革命によって資本家階級を打倒し、労働者(プロレタリアート)独裁社会に移行していくのが歴史の必然だ』と考えた。社会は常にそうして革命を起こしてきたから、当時支配していた『資本主義社会』から、もうそろそろ違う社会に変わると考えた。それが『社会主義社会』である。

 

 

簡単に言うと、マルクスは労働者(プロレタリアート)として強いられている人がいて、それを雇う人(ブルジョワジー)がいて、まるで後者が前者の支配者で、その格差は埋められないのだというまかり通っているが、実際にはそうではないと、主張した。今回、この話を押さえておくだけで随分印象が違うだろう。

 

ここで終わらせてもいいが、上級者はここからが本番だ。更に考えたいのはニーチェの言うルサンチマンである。ニーチェは、『ルサンチマン(弱者の強者への嫉み)』の感情のせいで、人間が唯一無二の人生を台無しにすることを嘆いた。キリスト教もそうした人間のルサンチマンから始まったのだと。

 

自分の上に裕福な人や権力者がいて、自分たちにはこの人間関係、主従関係をどうすることもできない。だが、その人たちの上に、神がいると考えれば救いが見出せる。神がいれば必ずこの不公平な世の中を、公正に判断してくれるからだ。

 

 

そういうルサンチマンたる感情からこの世にキリスト教が生まれ、イエスを『主』として崇めるようになったのだと。このあたりの人の心の動きを押さえることで、この世界にどのようにして宗教が生まれ、そしてそれが根深く蔓延していったのかということが見えてくるようになる。

 

この世で『莫大な力』を得るためにはどうすればいい?

『人間の最初の宗教』はどんなものだった?

 

支配する者 来世もまた権力を維持したいと願う
支配される者 来世は今よりも良い境遇であるように願う

 

つまり、『キリスト教=奴隷の宗教』と解釈し、

 

ニーチェ

もうそんなものは必要ない!

 

と主張したのだ。ここで言う『弱者』は=強いられている者。貧困、圧政、外国の軍事介入、他宗教の傲慢、どんな理由かは知らないが、そうして追い込まれた人々らが『来世』なり『神』なりといった『現在の自分や人生ではないなにか』に夢を見るようになってしまい、それを盲信するが故に独自的な方向へと逸れる。そしてそうして見誤る人間たちの集合体だからこそそれを真理(正しい道)に戻そうとする『本当の意味での救世主』がおらず、逸れるだけ道を逸れてしまうのだ。

 

だが、それもニーチェの言う考え方に耳を傾ければ違う解決策が見えてくる。ニーチェは『ニヒリズム(虚無主義)』だと言われていて暗いイメージを連想させてしまいがちだが、実際はそうではない。ニーチェは、

『世界には君以外には歩むことのできない唯一の道がある。』

 

と言い、

『しかしその道がどこに行くのかを問うてはならない。ひたすら歩め。』

 

とも言っているが、 このようにして『唯一無二の命の尊さ』を強く主張した。この事実から考えればわかるように、彼はブッダの言う、

 

ブッダ

 

天上天下唯我独尊

 

の言葉の意味を理解していることになる。この言葉の真の意味は、『私以上に偉い人間はこの世に存在しない』という、釈迦の思いあがった軽率な発言ではない。

『この世に自分という存在は、たった一人しかいない。唯一無二の人生を、悔いなく生きるべし』

 

という意味なのだ。このような事実を理解している人間が、『未来に対して暗く、絶望的な人』であるわけがない。彼が『神は死んだ』と言い、『=虚無があるだけ』と言ったのは先ほども言ったように、奴隷と主人の人間関係が当たり前だったときの『呪縛』から、いい加減解放されるべきだと言いたかったのである。それは、彼が想定した、『永劫回帰』という考え方を見てもわかることである。ニーチェは、

 

ビッグバン(破壊&宇宙創造)⇒宇宙が誕生⇒人間が誕生⇒ビッグバン(破壊&宇宙創造)⇒宇宙が誕生⇒人間が誕生⇒

 

地獄

[永劫回帰]

 

というループを無限に繰り返す考え方を提言する。もし、前世や来世等の発想があると、人はどうしてもその『もう一つの可能性』に未来を託し、あるいは希望を抱いてしまう。それが結果として現実逃避を生み出し、『今この瞬間』の否定につながる。

 

きっと来世ではもっとやれるはずだ!

 

しかし、もし永劫回帰という考え方があれば、今この瞬間、あるがままを受け入れるしかない。今この瞬間の、この自分以外にはあり得ない。『もう一つの可能性』などない。

 

だとしたら、今この瞬間、これが自分の人生なんだ!

 

と現実を直視し、今を全力で生きるようになる。ニーチェはそのようにして、その永劫回帰であったとしても、その事実を憂うのではなく前向きに受け入れ、既存の価値に囚われずに新しい価値を生み出す人間を意味する、『超人』であれと説いた。ニーチェが『この世に神は存在せず、人間だけが存在しているのだ』ということを強く主張したのは、こういう背景があるからなのだ。

 

彼ら蟹工船に乗った人々は、映画の冒頭からいきなり絶体絶命的な窮地を挫折し、人生を諦めようとする。だが、それでいいのか。我々は一体なんなんだ。道具なのか。支配される為に生きてきたのか。こういうことを考えさせられる教訓性の高い映画なのである。

 

 

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