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『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』 レビュー(感想)と考察

『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』

 

 

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A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』(A Ghost Story)は、2017年アメリカ合衆国ファンタジー映画。監督はデヴィッド・ロウリー

 

監督 デヴィッド・ロウリー
脚本 デヴィッド・ロウリー
製作 トビー・ホルブルックス
ジェームズ・M・ジョンストン
アダム・ドナギー
出演者 ケイシー・アフレック
ルーニー・マーラ

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『どんな人におすすめ?』

  1. 美男美女ったら美男美女!
  2. 気軽に、楽しく、爽快に!
  3. 新しい目線で考えさせられたい!
  4. 熱い絆やドラマで感動したい!
  5. 名シーン・怪演が見たい!
  6. 可愛い動物や大自然が見たい!
  7. ファミリーで安心して観たい!
  8. 歴史や実話で学びたい!

『レビュー(感想)と考察』

不慮の死を遂げた男がシーツを被った幽霊となって、遺された妻や世の移り変わりを見守り続ける姿を描くが、意見が分かれる映画となるだろう。私が映画に求める要素はゲームから得られるものではない。これを映画なので、映画ならではの何かを得たいのである。その意味で、非現実的であるこのストーリー自体からは何も得られない。これなら、ゴーストバスターズの方がいい。最初からないことが前提としているかのように、冗談交じりに遊ぶならいいが、このようにシリアスにされると『このようなゴーストがいるのではないか』というオカルト的な話になってしまうのでつまらない。

 

だが、それはさておき、中で繰り広げられる人々の会話には気になるものがあった。あるわけのわからない『痛いおっさん』的な立場の人間が、(イキって意味不明なことを言ってる)という具合に見ることもできる中、かなり核心を突いた話をしているのである。これは、私がよくする考え方で、完璧主義者ならではの発想だ。

 

完璧主義者というのは性格的な問題であり、例えば10あるシリーズで、1,2まで観たらそのすべてを観ないと気が済まない。また、部屋を綺麗にするときは最低でも目に見えるところは納得いくまでピカピカにし、それである種の多幸感を覚えるが、子供がいた場合、どうせその子供がすぐ部屋を散らかすので(だったら掃除をしなくてもいいや)と考える節がある。これは私自身がそうであり、権威ある生物学者がこれを口にしていたので間違いはなさそうだ。

 

その私は、まずこのサイトにあるように人間の勉強をするなら、そのトップに君臨する儒教の始祖『孔子』、キリスト教の礎『イエス・キリスト』、仏教の開祖『釈迦』、古代ギリシャの哲学者『ソクラテス』の、四聖の教えに目を向けるべきだと考え、偉人を学ぶ前に何よりも先に彼らの言葉に目を向けた。そして、ニーチェが言うように『永劫回帰』のような考え方にたどり着く。

 

ビッグバン(破壊&宇宙創造)⇒宇宙が誕生⇒人間が誕生⇒ビッグバン(破壊&宇宙創造)⇒宇宙が誕生⇒人間が誕生⇒

 

地獄

[永劫回帰]

 

ニーチェは、この世はこういう無限ループなのだ、という過程をする。もし、前世や来世等の発想があると、人はどうしてもその『もう一つの可能性』に未来を託し、あるいは希望を抱いてしまう。それが結果として現実逃避を生み出し、『今この瞬間』の否定につながる。

 

きっと来世ではもっとやれるはずだ!

 

しかし、もし永劫回帰という考え方があれば、今この瞬間、あるがままを受け入れるしかない。今この瞬間の、この自分以外にはあり得ない。『もう一つの可能性』などない。

 

だとしたら、今この瞬間、これが自分の人生なんだ!

 

と現実を直視し、今を全力で生きるようになる。ニーチェはそのようにして、その永劫回帰であったとしても、その事実を憂うのではなく前向きに受け入れ、既存の価値に囚われずに新しい価値を生み出す人間を意味する、『超人』であれと説いた。ニーチェが『この世に神は存在せず、人間だけが存在しているのだ』ということを強く主張したのは、こういう背景があるからなのだ。

 

映画に出てくる『痛いおっさん』は、まるでこのあたりの事実を知っているかのように、なかなか核心を突いた話をする。『だから、何をやっても意味がないんだ』という考え方は完璧主義者のそれであり、『数十億年後に地球が消滅し、いずれは宇宙も消滅する』という極端な終点に目を向け、その現実に半ばあきれるように、今の人生での向上を否定する考え方は、ここで挙げた偉人『まであと一歩』というところまで、彼が掘った証拠だ。

 

彼に妙に説得力があり、しかし同時に『痛いおっさん』にも見えたあの不思議な感覚は、その周りにいた連中のレベルがそう高いものではなさそうだ、という環境の影響もさることながら、あと一歩掘るのが足りない、というよくある人間の凡ミスだ。ニーチェはこうも言った。

 

『半可通(はんかつう)』というのは、私のような人間のことだ。意味は、いい加減な知識しかないのに、何もかもを知ったような口ぶりで話す人間のことである。私は常に口調を『なのだ』口調にして、さも事実を理解しているかのように振る舞っている。従って私は半可通になる。そして、ここで言うならこの彼も半可通ということになる。

 

彼は恐らくあの後の人生で、偉人たる結果を捻出しないだろう。彼は半可通のままの自分が好きなように見える。だが光景としてとても不思議なのが、それを聞いているゴーストの姿と、彼の身に起きるその後の現象である。普通、あのような痛いおっさんがあのような会で、あのようなキャラクターが集まる場所で話し出した場合、誰かが茶々を入れて話は最後までたどり着かない。だが、この映画では誰も彼に口を挟まない。ここに違和感がある。

 

この映画の目的として、『ゴーストが何かを見つければ終わり』なのだということが何となくわかるが、我々もゴーストも、そこにいる人達には何も影響させることができず、ただ一方的にそれを観てそこからヒントを得て、自分で答えを見つけなければならない。ゴーストはお皿を割ったりするポルターガイスト的な行動を取ることはできるが、それは別にそこにいる人達にポジティブな影響を与えることができない『ゴーストの一時的な混乱』だ。また思い出の地に他人が入り込むのを防ぐことくらいはできる。

 

そのおっさんしかり、シーンはいくつかの時代に急にワープする。あれは本人に『時間、死』という人間に通用する常識が通じないことを意味する演出にも見えるし、また、『実際には長時間そこにいるが、映画の都合上、重要なヒントがある場面や、重要なシーンに飛んだ』だけの可能性もある。それはまとめてみればわかる。どのシーンもすべて彼にとって重要なシーンだ。たまたまワープした時代のすべてに重要なヒントがあるというのはつじつまが合わない。

 

とにかく、あの半可通のおっさんは半可通ではあるが、ゴーストはそんな彼がおしゃべりをするあの時代のあのシーンに、『重要な何か』が隠されていると感じたように見える。だから我々もあのシーンを見なければならなかったし、ゴーストも黙ってそれを見ていたように見える。だがそれだと、あの半可通の言うように『どうせ宇宙は消滅するんだから、何を築いてもすべて無駄になる』という虚無主義(ニヒリズム)の発想になる。ニーチェをニヒリストと『勘違いして』言う人間がいるように、あと一歩掘らないと、そこまでの解釈どまりとなる。本当はその先にブッダらも辿り着いた天上天下唯我独尊という境地がある。

 

天上天下唯我独尊

『この世に自分という存在は、たった一人しかいない。唯一無二の人生を、悔いなく生きるべし』という意味。

 

だが彼はそこまでたどり着いていなかったので、『どうせ無駄なのさ』で話が終わってしまうわけだ。これでは、ゴーストもますます自分の存在意義を見失ってしまう。

 

この映画の他人の感想を見たが、そこにはこの映画にはハイデッガーの哲学が関係しているとあった。私もこのサイトで一通り勉強しているから、その中にはもちろんハイデッガーのそれもある。それが下記の記事だ。

 

ハイデッガーが『死を直視する』ことで得られる境地を主張した | IQ. (a-inquiry.com)

 

ハイデッガーは簡単に言うと、『死を直視して受け入れれば、有限の人生を理解し、人生を有意義に使うようになれると主張した人』だ。

 

[マルティン・ハイデッガー]

詳しくは記事に書いたが、

 

 

ハイデッガーがこう言うように、人間は時間の流れの中にあり、過去や未来に影響されている。過去の先祖が皇族だったら皇族の子として生まれるし、貧乏だったら貧乏の幼少期を送ることになる。そうやって時間の流れの中にいて、過去や未来に影響される。そして、未来に可能性を夢見て、現在を生きるわけだ。それをハイデッガーは『実存的生き方』と呼んだ。

 

だが、思い描いた未来を勝ち取れるかどうかはわからない。そう簡単なことでもない。ハイデッガーは、主体性を埋没させ、その他大勢の一人のような生き方をするならば、人は『頽落(たいらく。くずれ落ちること。新たな存在の意味を見出せず、同じことをし、同じところにとどまってしまうということ。)』すると言った。ハイデッガーの場合、ゴーストの話などしていないから直接的なことは触れないが、まず死を直視することで有限の人生を受け入れ、

 

よおし、ならせめて悔いなく、有意義な人生にしよう!

 

として奮起して立ちあがり、人生に主体性を持ち、この人生を意義のある、つまり有意義なものにすることができると主張している。この『頽落』だが、『新たな存在の意味を見出せず、同じことをし、同じところにとどまってしまう』というこの言葉、よく考えるとゴーストの立場に似ていないだろうか。そう考えると、彼は人、いやゴーストとして頽落してしまっている。つまり地縛霊だ。

 

地縛霊

自分が死んだことを受け入れられなかったり、自分が死んだことを理解できなかったりして、死亡した時にいた土地や建物などから離れずにいるとされる霊のこと

 

頽落する人間。地縛霊化するゴースト。まことに、人間というものは生きていても死んでいても、いつまで経っても自分の人生を主体的に生きることはできない生き物である。ゲーテは言った。

 

彼は生前、偉人たちのように達観していただろうか。それともゲーテ、あるいはニーチェの言うように、半可通かつ凡人的な人生を送っていだろうか。こう考えた時、私はこの映画が単純に『ゴーストが目的を達成して(答えを見つけて)成仏した』話ではなく、あの半可通のおっさんを含めたすべての『生存する人間』に対しても啓蒙する、人生に対する哲学の話のように見える。

 

つまり、ニーチェやハイデッガーやゲーテやブッダら偉人の説いた『天上天下唯我独尊』の境地を教えているのだ。もしそうなのであれば、ゴーストだけが救われる、という規模の小さな話ではなく、ここに登場した元妻のルーニーマーラや痛いおっさんも含めたすべての登場人物と、鑑賞者すべてに対する教訓的な話になる。

 

うーむ、あと1万文字くらいかかりそうだからこの辺にしておこう。

 

 

 

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