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ニーチェ『汝が平和を求めるならば、それは新しい戦いの準備としてのそれでなければならない。永い平和よりも短い平和を求めよ。』

名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!

ふむ…。

運営者

考察

『永い平和』ではなく『短い平和』を求めなければならないのは、いささか、首をかしげざるを得ない。普通、永久に続く平和を願うものだ。それが最も素晴らしい結果だからである。しかし、そうではなく『短い平和』にしろと言う。この意味を理解する為には、その前についている『新しい戦いの準備』に着目する必要がある。新しい戦いの準備、ということを考えた時、まず思いつくのは、戦争の様な、そういう争いである。

 

しかし、戦争など日常茶飯事としてあるわけではない。だとしたら、ここで考えらるのは、『人間に共通する、日々行われる戦い』である。そうじゃなければ、この言葉が存在する意味がない。普遍的に当てはまる言葉として、この言葉があるのだ、と仮定する。

 

ここで注目したいのはドストエフスキーの言葉だ。

 

聖書における『ヘブライ人の手紙』には『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。

『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』

 

つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。

 

 

その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。だとしたら、見えて来るのは『聖性を優位にし、魔性を劣位にする』ということで、そこにあるのは、魔性と聖性の真剣勝負である。更に言えば、昨今一部の狂信者が世界を騒がせているが、 イスラム教における『ジ・ハード(聖戦)』とは、何も人を惨殺することを許可する、という凶悪な概念ではない。

 

『神の為に奮闘する』ことを意味し、つまり、その『神』というものは、しばしば『愛、真理』と『=』であると考えられるわけで、例えば、『人に裏切られ、殺意を覚えた』というとき、そこに現れるのは間違いなく『魔性の疼き』であるわけだが、しかし、それを聖性の力で劣位にさせよう、という『闘い』こそが、この『ジ・ハード(聖戦)』なのである。

 

これだったら、『人間に共通する、日々行われる戦い』の話につじつまが合う。この戦いは、毎日のように行われるわけだ。ある不満を我慢し、ある魔性の疼きを抑制したと思ったら、次の瞬間には、また新たな負の原因が自分に襲い掛かる。勝ったと思ったら、もうすぐに次の戦いだ。だとしたら、そこにある平和は短い。しかし、人間一人一人がそうして短い平和を求め続ける努力を怠らなければ、結果として世界に平和がもたらされるのである。

 

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

 

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