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『正しい正義はある。だが、その正義の光は、まだ弱い。』

意味

『歪んだ正義があるなら、その基準となる正義がある。だが、それが本当に正義だと決めつけるのは人間本位だ。しかし、間違いなく歪んだ正義がある。だとしたら、こう結論付ければ間違いが無さそうだ。『正しい正義はある。だが、その正義の光は、まだ弱い。』』

 

『正義』というのは、『正しい義』であるわけで、『歪んだ正義』という言葉自体の正確性は怪しい。『歪義』ならばわかるが、しかし今のところそういう言葉は存在していない様だ。だから今回は『歪んだ正義』ということにしておこう。

 

例えば、警察が掲げる正義があるとしよう。しかし、それがどうも歪んでいるように見えるとしよう。例えば、その遂行のためには、死者をもいとわないというような、そういう傲慢な考え方が浸透しているのだ。だとしたら、そこにある正義は歪んでいる。『歪んだ正義』がそこに存在しているということになるのだ。

 

彼らは『正義』だと思っている。だが、曇りなき眼を持った第三者から見れば、それが『歪んだ正義』に見える。では、その曇りなき眼を持った第三者は、『正義』が何であるかについて、どこまで正確に語ることが出来るだろうか。そうなると、それもまたその正確性は怪しい。その人物が神でもない限り、その人物が語る正義もまた、完全ではない可能性が高いのである。従ってこうなる。

 

『歪んだ正義があるなら、その基準となる正義がある。だが、それが本当に正義だと決めつけるのは人間本位だ。』

 

ここで言う『人間本位』というのは、要はその人間は『曇りなき眼を持った者』と評価されるぐらいだから、かなりの識者なわけだ。警察や国家という甚大な権力を持った組織にも物おじせず、自分の見識を確信する。だからその様な人物は、もう誰の目から見ても落ち度のない完璧な人間に見える。

 

だが、『完璧な人間』などいない。それを、『完璧な人間』だと評価する人間の正確性も疑わしいものでしかない。従って、いくらそのような人物が『四聖』に数えられる、

 

孔子

孔子

ソクラテス

ソクラテス

ブッダ

ブッダ

キリスト

キリスト

 

のような圧倒的な実力者であっても、その言葉を鵜呑みにすることは、人間本位である。

 

『人間は今、「最高到達地点」にいない。』

 

にも書いた様に、人間が把握する実態は、常に更新されているのだ。ちょっと前までは人の首を斬ってそれを手土産にしていた時代があったし、不倫相手を斬り殺して良い時代もあった。男尊女卑の時代はどうだ。黒人差別についてはどうだ。そしてそれらの問題は今、完全に解決できているのだろうか。違うなら人間は今、最高到達地点にいない。現在進行形で、更新し続けているのだ。

 

しかし、間違いなく歪んだ正義がある。それは我々一般の人間の目から見ても見紛うことのない、明らかな歪んだ正義だ。だとしたら、こう結論付ければ間違いが無さそうだ。

 

『正しい正義はある。だが、その正義の光は、まだ弱い。』

 

光

 

人間はその『正義が放つ光』に導かれ、正義だとか、歪んだ正義だとかいって、そこに境界線をつける。だが、やはりそこは恒久的に未熟な人間のことだ。当然その判断が的確なものであるとは限らないのである。だから法律や常識が常に改善され、更新され続けているのだ。そしてそれはこれからも永久に続くのである。

 

ソクラテスは、アニュトス、メレトス、リュコンという人物に嵌められて冤罪を着せられた。幼馴染のクリトンに脱獄を勧められても断り、逃げることなく、死刑を受け入れ、側にいた人間にこう言い残した。

『お別れのときが来た。君たちは生きながらえるため、私は死ぬために別れるのだ。君たちと私のどちらがより幸福なのだろうか?答えることが出来るのは神のみである。』

 

 

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