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キリスト『悔い改めには、本物と偽物の二通りある。無論、前者だけが救われる。-②』(超訳)

キリスト教の礎 イエス・キリスト

内省

ヨナの書 第3章にはこうある。

『神は、人々が今まで行ってきた悪い行いをあらため、本当に悔いているのを見た。そして、彼らに罰として与えようと思っていた災いを下すのをやめた。』

 

4章も同じことが書いてある。『赦される罪と、許されない罪がある。』ということは書いたが、もし本当に悔い改めているのであれば、それは『赦される』。

 

この章でヨナが神に怒りの態度を示したのは、『許す』ことが出来なかったからだ。 『赦す』というのは、罪を帳消し、リセットするとか、免除するとか、やり直せるとか、そういう意味合い、つまり『愛』のような感覚である。 『許す』というのは、認める、承認する、良しとするなど、そういう意味合い、つまり『許可』のような感覚である。

 

悔い改めれば神からは『赦される』。だが、『許される』わけではない。 二度と同じような過ちを犯す人間が出ないために『許す』ことは出来ない。だが、悪気が無く、あるいは本当に悔い改めた人間は、『赦され』、人生をやり直す機会を与えられるべきだからだ。 嵌められて、生きるためにその行為を強いられた人間は、嵌められず、生きるために何も強要されなかった人間と、同じではない。人間は公正に扱われなければならないのだ。

 

 

注意

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、運営者が独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

参照文献

聖書

ヨナの書 第4章。

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『愛があれば全ては解決する。』

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