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ジョン・ミルトン『私たちに与えられた光は、ただじっとそれを見つめているためではなく、それによってまだ私たちから隠されているところの、遠い先のものを開けて見るために、与えられているのだ。』

名言と真剣に向き合って、偉人の知恵を自分のものにしよう!

ふむ…。

運営者

考察

『私たちに与えられた光』の解釈によって全てが変わってしまう。これは、『ライターの火』なのか。『暖炉の火』なのか。あるいは、犯罪の抑止となる『正義』なのか。全てを包み込む『愛』なのか。それとも、宇宙という圧倒的な闇があって、その対極である『光』ということなのか。どちらにせよここで言われているのは、その光をただ傍観するのではなく、『駆使して利用せよ』という方向である可能性が高い。まるで、まだ見ぬ開かずのドアにあるカギ穴を見つけ、そこにそのカギを差し込み、開拓せよ、あるいは解放せよ、と言う様な、そういう印象を得る。

 

例えば、ドストエフスキーは言った。

 

聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。

『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』

 

つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。

 

 

その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。だとしたら、見えて来るのは『聖性を優位にし、魔性を劣位にする』ということで、 そこにあるのは、魔性と聖性の真剣勝負である。更に言えば、昨今一部の狂信者が世界を騒がせているが、イスラム教における『ジ・ハード(聖戦)』とは、何も人を惨殺することを許可する、という凶悪な概念ではない。

 

『神の為に奮闘する』ことを意味し、つまり、その『神』というものは、しばしば『愛、真理』と『=』であると考えられるわけだが、例えば、『人に裏切られ、殺意を覚えた』というとき、そこに現れるのは間違いなく『魔性の疼き』であるわけだが、しかし、それを聖性の力で劣位にさせよう、という『闘い』こそが、この『ジ・ハード(聖戦)』なのである。

 

ここで言う『聖戦』、あるいは『聖性と魔性の戦い』というのは、『アクティブ』である。つまり、活動的だ。動いている。率先して動き、自分の中にある魔性の部分と戦い、その戦いに勝利する動きがある。この考え方を考えた時、ミルトンの言葉と関係している点がある。ミルトンの『与えられた光』が、もしこの『聖性』だとすれば、人は、その聖性をただじっとして持っているだけではダメで、むしろそのままだと魔性に支配されてしまう。それが『魔に刺された』という状態だ。

 

しかし、それをアクティブに活発化させていくことが出来るわけだ。例えば、マザー・テレサジョン・レノンなどの愛の活動はどうだ。彼女らは、その聖性たる自分の光の一面を、ただじっと見つめているだけではなく、世にはびこる闇を浄化する為に、行動に移し、あるいは促した。この『遠い先のもの』というものが、もし『世界平和』だとしたら、この話はつじつまが合う。そうなるとこの言葉の意味は、

 

『人間に聖性と魔性の両面がある。しかし、聖性をアクティブに活発化させていかなければ、魔性に身体を支配される。この世が混沌に傾いているならば、魔性の動きが活発化している証拠だ。我々は、立ち上がり、声を荒げなければならない。世界中の全ての人がそう確信した時、世界平和は実現されるのだ。』

 

ということになる。

 

 

MEMO

※これは運営者独自の見解です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

 

 

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