名言を自分のものにする

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それでも、生きてゆく


今日、一つのドラマが終わった。

『それでも、生きてゆく』。


殺人事件を犯した少年の妹と、被害者の兄との間に起こる、

壮絶なヒューマンドラマである。


観る価値のあるドラマだった。


私は、このドラマのキーマンとなる人物達の人生が、

見て見ぬ振りができる、他人事とのものとは思えなかった。



まずシンクロするのは被害者の兄。


加害者は元友人。

だが、たった一人のまだ幼い妹を殺されて、

15年以上復讐のことで頭がいっぱいだった。


私も、自分の家族が殺されたら、必ずその加害者を殺すと決めていたから、

他人の考え方だとは思わない。


だが彼は、とても苦しそうな日々を送っていた。



そんな彼の心に変化をもたらせたもう一人の人物、加害者の妹。



彼女は兄の為に、その一生を罪滅ぼしに捧げた。

被害者の兄を好きになってしまった普通の女の子だったが、

その気持ちを死に物狂いの切ない気持で振り切って、罪滅ぼしに捧げた。


彼女のように一途で覚悟のある人は、人間の鏡だと思う。

このような人が、動物を超えた存在の、本当の人間の姿だと思う。



そして、これは視聴者でも一番理解者が少なかっただろうが、



心を闇に侵された、加害者の男である。


この男の気持ちは、痛いほどよくわかる。

だが彼の気持ちは、"わかってはいけない"。


世の中には、

『理解っちゃいるけど、理解っちゃいけない』

ことがあるのだ。


これも、恩師が教えてくれたことだ。



子供の頃、捻じ曲がった真実を見てしまった加害者。

それによって文字通り歪んだ心やパラダイムが、彼の人生を狂わせた。


すべての子供の人生の行方は、親が握っている。


これはもう、絶対だ。


だが多くの親は、子供の成功は自分のおかげだと考えて、

子供の失敗は、子供のせいだと考えがちだ。


なぜ多くの親がそうかというと、


人間とはその多くが、弱い生き物だからだ。

それ以上でもそれ以下でもない。


最終回での、父親と加害者の面会での会話が、非常に重要なポイントだ。



『俺を恨んでくれ。

俺を恨んでくれ。


お前がこうなってしまったのは、全部俺の責任だ。

お前をそこに行かせてしまったのは、俺の責任だ。』


号泣しながら父親はそう言った。



この発言が、難しい

人として、親として、
加害者の家族としてのこの発言をすることは、
人間として、とてもとても難しい。
すべてを加害者のせいにしてしまった方が楽だからだ。
加害者の悲劇の家族という役割を演じていた方が、楽だからだ。
だが、その姿が、
真の父親の姿だ。
自分の家族の成功も失敗も、
全てを分かち合う責任を持ててこそ、真の家族と言えるのだ。
この深いテーマが教えてくれる人生の教訓から、
目をそらしてはいけない。
私もよく言われた。
『なんでお兄ちゃんや妹が出来て、
あなたはできないの!』
そう、言われていたのだ。
今の私とこの加害者との決定的な違いを私は断言できる。
それは、
『責任転嫁』
つまり、自分の人生で起きた不幸を含めたあらゆる出来事が、
すべて、誰かや、何かの責任だと思っているか、
いないかということだ。
私の人生が変わったのは、
『自分の身の回りで起きたことは、全て自分の責任だ。』
と認めてからだ。
あれからちょうど、10年が経った。
自分の責任だ
そう思うことは、難しい。
人間として、とてもとても、難しい。
その重圧は重く、苦しく、日々悩まされるだろう。
ある人はお酒、
ある人は恋人、
ある人は宗教、
自分の責任を分散できるものなら、藁にもすがりたい。
だが、この加害者の妹は違う。
強い。
そしてこういう言葉がある。
『一体どれだけ努力すればよいか」という人があるが、
 
「君は人生を何だと思うか」
と反問したい。
努力して創造していく間こそ人生なのである。』

または、俳優のケビン・コスナーは、その波乱万丈な俳優人生を
なぜ生き抜いてこれたか、問われた時に言った。
私は、人生を生きている。
あなたは人生を、何だと思っているか。
更生。
更生とは、『更に生きる』と書く。
それでも、生きてゆく。
更に、生きてゆく。
人生で耐えがたい試練に直面し、それを乗り越えた時、
そう思えた時、
人は、
『甦る。』
更生というこの文字。
くっつけても離しても、
人の一生を応援してくれるらしい。
あなたはもう、甦った?
それとも、まだ?

 

 


by:一瀬雄治 (Yuji Ichise)
サルベージエンタープライズ株式会社代表取締役社長。
1983年、東京都生まれ。


それでも、生きてゆく

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