名言を自分のものにする

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300兆分の1


よく私は自分や、他人に対して、こう言う。
『過去何百億年、これから先何百億年にさえ、自分という存在は、唯一だ。
だから、自分らしく生きないでどうする。
すべてを受け入れ、等身大の自分で生きることが、最善なんだ。』
最近に限らず、私は『自分らしさ』を毎度のように主張する。
その根源は、やはり幼少期の親との信仰の違いにあり、信仰を押し付ける親から、
自分の尊厳を守るために、自然とそうなったのだ。
最初はそれが、自分を守るだけの無責任で自分本位なものでしかなかったが、
10代後半に起こった過酷な試練を通して、『本当に自分らしく生きること』について学び、

それは磨かれていった。
ある私は類稀な一年間の精神修行の末、
そのけじめの為の、
選びに選んだ最後の言葉は、
『僕は自分に素直に生きていきます。』だった。
この意味は、本当に深い。
『素直』という言葉を知りたての、小学生が使った言葉じゃあない。
たくさんの思いが詰まっている。
自分らしく生きるということは、実は本当に素晴らしいことだ。
絶対に泣かないことを信念に生きている渡しが、
涙をこらえても涙を流してしまう。
あんな体験を、私はもう一度することができるのだろうか。
ある博士は言っている。
『自分らしくふるまうという問題は、歴史とともに古く、
人間生活と同じように普遍的である。』
自分らしくふるまわないことこそ、さまざまな神経症・精神異常・感情抑圧の
潜在原動力となっている。
かの有名なウィリアム・ジェームズが、普通人は、

その潜在的な知的能力の10%しか発達させることができない

と述べているのは、
自分自身を発見しえない人々についての説である。
『われわれは本来あるべき姿に比べると、ようやく半分だけ目覚めた状態にすぎない。

われわれが利用しているのは、肉体的にも精神的にも、

自分の資質のごくわずかな部分だけだ。

おおざっぱな言い方をすれば、人間は自分の限界のはるか手前のところで生活している。
彼は種々雑多な力を有しながら、いつも決まってそれを発揮できない。』
人間は、世界に一つだけの花だ。
小さい花や、大きい花、一つとして同じ花はない。
過去何百億年、これから先何百億年で、自分という存在は唯一だ。
道は開ける』224Pを読めば、科学的な確率でいえば300兆分の1の確率で、
両親から生まれていることを教えてくれる。
この世に生まれたこと自体が、奇跡なのだ。
そんな奇跡の人生を、100%等身大で生きなくてどうするというのだ。
我々は、ほかの存在になることはできないし、なる必要などない。
『道は開ける』一文にこうある。
才能のあった駆け出しの作曲家ガーシュイン。
バーリンという経営者がガーシュインの才能にほれ込み、自分の音楽秘書
になってくれれば今までの給料の3倍を払ってもよいと申し出た。
『しかし、この仕事は引き受けないほうがいいよ。』
と、バーリンはつづけた。
『引き受けたら、君はバーリンの二流品で終わるかもしれない。
だが、
君が自分らしさを守り通せば、
いつかはきっと一流品のガーシュインになるだろう。』
ガーシュインはこの忠告を心に刻んで、自分の個性に徹することに努め、
世界的作曲家となった。
私は、このことがよくわかる。
私は23歳で起業をしたのだ。
私が、この人生で自分らしさを発揮するためには、
辛いと評判の剣道強化練習も、
過酷なハードルのボクシングのトレーニングも、
背負った瞬間からあらゆる覚悟を背負う経営も、指導者も、
避けては通れなかった道だった。
エマーソンは、『独立独歩』というエッセイでこう述べている。
『だれでも教育を受けている過程で嫉妬は無知であり、模倣は自殺行為
ほかならないという確信に達する時期がある。』
たしかに私、『本当に自分らしく生きていくということ』を学んだあと、
大きく考え方が変わった。
他人に対して嫉妬したり、憧れたり、真似をしたりすることがなくなったのだ。
それまでは、ごく普通の16歳の少年だった。
みんなと同じように、安室奈美恵や、浜崎あゆみが好きだった。
ジャニーズやhideや読モの真似をして、流行りの歌や、流行りの洋服、
とにかく周りに敏感になり、アンテナを伸ばした。
人からどう見られるか、なんと言われるかを気にして、自分らしさというより、
『誰か』になりきって生活していたかもしれない。
とにかく、等身大で生きていたとはいえない。
だからこそ、後悔がたくさんある、人生を送っていた。
しかし、『本当に自分らしく』生きていくことを覚悟できたときから、
私の人生は変わったのだ。
私の運命は、変えることはできない。
私の父親は死んだし、母親は信仰がなければ生きていけない。
泣いても笑っても、私の両親はこの二人以外には存在しない。
それが、運命なのだ。
運命を受け入れ、唯一の自分の人生を生きることを覚悟したとき、
私は初めて自分の人生を主体的に生きることができるようになり、
責任を誰かのせいにもすることはなくなった。
『他人のまねをするな。自己を発見し、自己に徹しよう。』
私は、この『自己に徹する』ということの大切さを、身にしみてよく理解っている。
他人に憧れ、真似をしようとする人間は、私の周りにもたくさんいる。
しかしそういう人は、二流品でしか生きていくことができない。
私はそれが理解っているから、大切な人間に助言するのだ。
一流で生きてもらいたいために。
いつまでも対等に、”切磋琢磨できる仲間”でいてもらいたいから。
誰だって、”誇れる仲間”は、欲しいに決まっている。
自己を発見できない段階でさまよっている人はたくさんいる。
そこをさまよい、人生を終えてしまうことも多い。
…それでもいい。
たとえ、それでも、家庭を持ち、幸せに生きていけるなら、
それでその人の人生は『完成』だと思う。
しかし、そういう人がもし本当の自分を発見し、それを振り返るとき、
必ずこう言うだろう。
『私の人生は、あそこからはじまった。』

 

 


by:一瀬雄治 (Yuji Ichise)
サルベージエンタープライズ株式会社代表取締役社長。
1983年、東京都生まれ。


300兆分の1

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