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規範意識とは


規範意識とは、道徳、倫理、法律等の社会のルールを守ろうとする意識のこと。しかし、規範、道徳、法律は、類似するものであるものの、必ずしも一致するものとは限らない。

通常、法律の遵守は規範であると考えられるが、いかなる場合であっても法律を守ることが規範意識であるのかというと、違和感を覚える人もいるであろう(例えば、交通量の極めて少ない場所での信号無視や、保護者同伴の席での未成年者の飲酒、駐禁場所でのやむをえない一時駐車など)。また、結婚し家庭を築くことは社会の規範であるという意識の者もいる一方、結婚や子供を持つこと は価値観の違いの範疇に属するものであると考える者もいる。



━Wikipedia抜粋。


Contents


  • 1:ごみのポイ捨て
  • 2:生きるべきか、死ぬべきか―『アメリカン・ギャングスター』
  • 3:村に住む人々―『ヴィレッジ』
  • 4:血か、愛か―『ゴーン・ベイビー・ゴーン』
  • 5:正義とは―『ブレイブ・ワン』
  • ※映画を楽しみたい方は、ネタバレの為映画を観てからお読みください。


    簡単なものから考えていこう。

     

    ゴミのポイ捨てはいけない、というが、人間が、周りに誰もいないとき、ゴミが落ちていたら拾うのか?人間が、ゴミのポイ捨てについて許せないというが、誰もいなくてもそうなのか?それとも、『誰かに言いたい』のか?『誰かにそれを言って、自己満足したい』のか?それとも、『誰もいなくても、地球を大事にするつもりだから』なのか?

     

    ゴミのポイ捨てが、なににつながっているか、知っているのか?では、地球を汚す『燃料』も一切使用していないというのか?家や、車や洋服や食事からの生ごみは、地球から見てゴミのポイ捨てではないのか?

     

    なんで、『ゴミ』なのか?それは、あなたが『たまたま貧しくて、粗末にするなと育てられた』からなのか?それとも、『たまたま裕福な家庭に生まれ、あるいは環境になり、余裕がある』のか?被災地で、同じことが言えるのか?

     

     

    それとも、『混沌』としていたら、”話は変わる”のか?『秩序』が保たれているから、そんな悠長なことを言っているのか?あるいは、『秩序』を崩さないようにという、崇高な意識からなのか?そこまで、他人のこと、後世のこと、地球のことを考えているのか?それとも、『秩序が乱れたら、自分の生活が脅威に立たされる』からなのか?ゴミは、”物”なのか?それとも、“人間”なのか?

     

    ゴミのポイ捨ては、ダメだ。

     

    しかし、あなたの『規範意識』の根源は、なんだろうか。

     

     

     

    キング牧師が暗殺された1968年、ある町に一人の黒人がいた。彼が生まれたところはニューヨーク市、ハーレム。当時のハーレムは、混沌としていた。彼は、幼い頃から、家族が警察にショットガンを口に突っ込まれるのを目の当たりにしてきた。

     

    彼は、『そういう環境』に生まれ、生きていかなければならなかった。彼のやったことは法律では決して許されることではない。その生活から這い上がる為、家族を守るために多くの人間を犠牲にし、罪を犯した。

     

    ではそもそも、『法律』とはなにか?人間を守るためにあるんじゃないのか?その『法律』が未熟だから、そういう家庭が生まれるんじゃないのか?偶然その家庭に生まれた彼に、なんの罪があるのと言うのか?

     

    彼は“罪人”だが、彼の中には“規範意識”がある。朝は犬の散歩をし、喫茶店で新聞を読み、町の悪党から秩序を守る。彼がいなければ、その町がもっと混沌としたことは、事実だ。彼は家族を大事にし、毎日祈る。自分に憧れる家族には、『それはやめろ』と本気でしかりつける。

     

    彼は、”悪党"なのか? それとも、”法律”が、”法律を決めた人間”が、未熟なのか?あなたが『そういう環境』に生まれたら、どう生きるか?そこでも、ゴミのポイ捨ての話を始めるか?

     

    『生きるべきか死ぬべきか。それが疑問だ。』
    byシェイクスピア

     

    ━参考映画 『アメリカンギャングスター』

     

     

     

    ここからは、フィクションの映画を通して考えたい。

    ある、『村』があった。その村は、50人未満の小さな村。老若男女、みんな家族のように仲がいい。しかし、その村には問題がある。

     

    実はその村の子供は、その村が『世の中』だと思っているのだ。つまり、村から一歩も外へ出たことがない。いや、出ることを許されていないのだ。それも、生まれてからそれまでの間ずっと。 深い森に囲まれたその村を出ようとすると、『森に棲む怪物に襲われる』という逸話を作り上げ、親は子供を村に閉じ込めている。子供たちはすっかり信じ込んで、村から出ようとしない。

     

    なぜこんなことをするのか?実は、この大人たちには、それをする共通の『理由』があった。ある人間は、家族を理不尽に強姦、殺害され、その遺体はゴミ箱から発見された。またある人間も家族を殺され、またある人間も最悪の形で家族を失った。その村は、世の中の混沌に心を壊され、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の病を抱えた大人たちが作った、禁断の村(ヴィレッジ)だったのだ。

     

    そんなことが許されるか?だが、その大人たちを、責められるか?その大人たちが取った行動は、『異常』だ。だが彼らは『異常犯罪の被害者』だった。そして、『世の中の異常』から子供を守りたかったのだ。

    あなたが『そういう環境』になったら、どう生きていくか?

    ━参考映画 『ヴィレッジ』

     

     

     

    あるところに、私立探偵がいた。ある日、下層階級が住む小さな町で、少女誘拐事件が起きる。4歳の少女が、自宅から忽然と姿を消したというのだ。

     

    『娘を助けて』と悲痛な姿をテレビカメラにさらし、世間の関心を一身に集める母親。捜査は難航した。だが、それでも人間として、少女への思いを断ち切れない探偵。しかし、調査を進めるにつれ、少女の母親が酒とドラッグにおぼれた自堕落な暮らしぶりをしていたことがわかった。誘拐前は、彼女の育児放棄が、問題視されていたのだ。

     

    やがて探偵は少女の母親が、ドラッグの売人から金を盗んでいたことを突き止めた。

     

    探偵『この代償に、娘を誘拐されていたのか!?』

     

    母親『・・じゃあ、どうしたらよかったのさ!』

     

    母親は、開き直った。

     

    醜くて、卑しくて、どうしようもない現実に、探偵は葛藤する。そして事態は、意外な展開へ。実は、少女の母親の育児放棄ぶりを見るに見かねたある老夫婦が、その少女をとある山奥の家に連れ去り、育てていたのだ。

     

    彼らは、過去に、子供を亡くしていた。それを突き止めた探偵。少女の未来を考え、見逃すように説得する老夫婦。確かにその老夫婦は、少女を心から、愛するようだった。葛藤したが、それでも探偵は、『法律』を守った。そして無事(?)に少女は母親の元へ、帰された。

     

    ある日探偵が、母親の家を尋ねた。しかしそこには、元通り、自堕落な生活を送る母親がいた。彼女は、今回の件で有名になり、毎日”忙しい”ようだった。

     

    母親は探偵に言った。

    『あら、あんたいたの?ってかさ、あたしちょっと出かけるから、その子見ててくんない?・・あら?あなたもよく見れば、いい男じゃない。今度、遊びましょうよ。』

     

    …無心でテレビを見る少女と部屋に残され、(本当にこれで良かったのだろうか)、と悩む探偵。

     

    あなたが『そういう環境』だったら、どう判断しただろうか?

    ━参考映画 『ゴーン・ベイビー・ゴーン』

     

     

     

    キャッチコピー『あなたは、ジョディ・フォスターを許せるか?』 

     

    ジョディフォスターはこの映画の感想で、こう言っている。
    「彼女(演じた役)がなぜこういう行動に走るかひとことで説明できない。友人にも家族にもなかなか説明できない。でも、こういった役を演じるということは、人生を変えるぐらいのインパクトをもたらすのです。」

     

    あるところに、真剣に愛を育み、今にも一生を共にしようと誓おうとしていたカップルがいた。

     

    しかし、あるデートの途中、公園で理不尽な暴漢に襲われ、自分は大けがを負い、連れていた犬は奪われ、恋人は、殺されてしまった。幸せの絶頂の中、そういう理不尽な目に合い、彼女は精神的に深い傷を負った。彼女はしばらくの間ろくに仕事もできず、悩み、苦しみ、葛藤した。

     

    ある日、その暴漢が逮捕もされず、何にも反省せず、のうのうと遊び倒していることを知った。弱い女性が決死の思いで駆け込んでも、事務的な対応をする警察。彼女の精神状況は、更に追い込まれていった。

    (一体この世は何が正しくて、何が間違いなのか?…自分が立ち上がらなければ、真実は隠蔽され、正義は歪曲され、彼の命が報われることはない…自分が立ち上がらなければ…)

     

    その後しばらくして、彼女のことに親身になってくれる刑事がいたが、彼女はそのときすでに、犯人へ復讐することを固く決めていた。一体”なに”が、彼女をそうさせてしまったのか?

     

    刑事は、断固として正義を貫いてきた、筋金入りの法律者だった。彼女の気持ちに気付いたが、彼が考えを変える気はなかった。彼にもまた、自分がそこまで生きてきた、信念があった。

     

    彼女の最後の報復現場に駆けつけた刑事は、恋人を殺した犯人に銃を向ける彼女を止めた。

     

    彼女は泣き叫び、言った。

     『止めないで!!』

     

    しかし刑事は、その究極の場面で、こう言った。

    『やめろ!!

     

    ……

    ……

    …撃つなら、この銃を使え。』

     

    そう言って刑事は、さっき取り上げた仲間のギャングの銃を彼女に渡し、彼女が今まで犯した報復を、すべてこのギャングの仲間割れのせいにし、堅く誓って信条にしてきた自分の『正義』を曲げ、彼女の『正義』を守り、現場から立ち去る彼女を見逃した。

     

    そこには、『法律』という常識を飛び越えた、確かな『規範意識』があった。あなたが『そういう環境』だったら、どう生き、どう判断するだろうか?

     

    ━参考映画 『ブレイブ・ワン』

     

     

     

    規範意識とは、こういうことを考えるということである。

     

    なにも、法律を守るな、と言うわけではない。法律とは、秩序を守るため過去の人間たちが試行錯誤の末考えた、立派な英知だ。基本的に法律は、守らなければならない。法律がなければ、世の中は、もっともっと荒れ果て、混沌としてしまうだろう。

     

    だが、忘れてはいけない。『お金』よりも、『法律』よりも先に、『人間』が生まれていたということを。法律を作った『人間』とは、恒久的に、未熟なのだ。

     

     


    by:一瀬雄治 (Yuji Ichise)
    1983年、東京都生まれ。


    規範意識とは

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