名言を自分のものにする

広告

 

> > >

 

挑戦する脳

9784087206517.jpg

■著者:茂木健一郎


前々から茂木氏の言うことには、耳を傾けてきた。最初は『セレンディピティ』だった。『アハ体験』が流行した時代だ。

 

それから、『サヴァン症候群』や、『アウェイ体験』など、彼の言うことが私の興味があることばかり。どうやら、私は脳科学に興味があるようだと、彼を通して知ったのだ。

 

だが私は、彼が醸し出す表現に『妙な違和感』を覚えることが少なからずあった。

(なにか変だ。うさんくさいというか、なんというべきか。)

 

私は基本的に論理的に生きているが、実は私が抱える『違和感』は、ときにそれを凌駕するときがある。

 

その要因であるかもしれない事実を、この本で著者が言う、例えば『リヴァイアサン』という旧約聖書の概念から考えてみると、いささか、その違和感の正体がなんとなく見えてこなくもないと思った。

 

『リヴァイアサン』というのは、『人間の本質、本性』と言うべきか、自らの生存をめざし、利益を図り、そのためには他人の犠牲をいとわないという、そういう『人間が抱える本質、本性』のような概念である。

 

人間はしかしその凶暴性に耐えられないから、政府にその権限を委譲し、政府が、国民の代わりに国益を闘ったり、守ったりする。

 

これらを考えたとき、だが茂木氏は、『リヴァイアサンを委譲したからこそ、個の能力が低下する』と言い、『優等生に成り下がる』ことを、批判する。

 

ドイツ系ユダヤ人が使うイディッシュ語に、『フッパー』という言葉がある。図々しさ、厚顔無恥、無遠慮、傲慢、到底考えられぬほど肝が据わっている、という意味だ。

 

著書ではFacebook創始者のマーク・ザッカーバーグも引き合いに出し、このリヴァイアサン性について言及しているが、何を隠そうこのザッカーバーグは、ユダヤ人。

つまり、おそらく『フッパー』を知っている。

 

Google創始者だろうが、アインシュタインだろうが、彼らユダヤ人はこの『フッパー』をおそらく知っていて、茂木氏は、彼らのような世界的な結果を出す人物を、たまたま『リヴァイアサン』という概念でもって説明しているのではないだろうか。

 

そう考えたら、彼が『全力教室』で東大生に対して強く批判したり、私が感じる『違和感』が何であるかにも、ある程度の説明がつくのだ。

 

つまりこういうことだ。

 

彼は『フッパー』、あるいは『リヴァイアサン』の重要性を知っている。だが、日本人はそれに対する意識が世界に比べてかなり劣っている。東大生であっても、その範囲内だ。そしておそらく、自分自身もそうだったのだろう。

 

それに対し、怒りを覚えたのではないだろうか。そして、声を大にし、主張しているのではないだろうか。

 

その『ちょっと無理して(まだ乗りこなせていない)フッパー(リヴァイアサン)を演じている』感じが、私に『違和感』として伝わっているのではないだろうか。

 

いやもちろん個人的な見解で、何の保証もない。ただ、彼の言葉は傾聴に値するということだけは、わかるのだが。

 

 

 

 


[初読年齢 30歳]

著者:一瀬雄治 (Yuji Ichise)


挑戦する脳

スポンサーリンク

広告

 

↑ PAGE TOP