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横井小楠『人必死の地に入れば、心必ず決す。』

横井小楠


日本儒学者 横井小楠画像


なぜ人間というものは、『ストイック』という言葉があるのだろうか。『カタカナ語の意味』にはこうある。

 

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「ストイック(stoic)」とは、 元々ストア学派の哲学者、またストア学派風の克己禁欲主義・厳粛主義を信奉する人のことです。そのストア学派の禁欲主義的な幸福論から、「自分の欲望を抑え情念に動かされることなく幸福を得ようとするさま」などの意味を表します。

 

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湧き出て来る欲望を抑えることが、この言葉の背景にある。では、なぜ欲望を抑えなければならないのだろうか。

 

聖書における『ヘブライ人の手紙』には、『父が子供を叱るとき』について、こう書いてある。

『神が自分の聖性を子に与えようとしているのだ』

 

つまり人間には『聖性と魔性』の両面がある。

 

 

 

その内、父が子を叱った場所には『愛(聖性)』が宿り、『魔が刺した』人間には『罪(魔性)』が宿っていることになる。

 

だとしたら、見えて来るのは『聖性を優位にし、魔性を劣位にする』ということで、そこにあるのは、魔性と聖性の真剣勝負である。

 

 

更に言えば、昨今一部の狂信者が世界を騒がせているが、イスラム教における『ジ・ハード(聖戦)』とは、何も人を惨殺することを許可する、という凶悪な概念ではない。

 

『神の為に奮闘する』ことを意味し、つまり、その『神』というものは、しばしば『愛、真理』と『=』であると考えられるわけで、例えば、『人に裏切られ、殺意を覚えた』というとき、そこに現れるのは間違いなく『魔性の疼き』であるわけだが、しかし、それを聖性の力で劣位にさせよう、という『闘い』こそが、この『ジ・ハード(聖戦)』なのである。

 

聖性(愛や勇気)を優位にし、魔性(煩悩や邪念)を劣位にする。これによって人は、ようやく『人』として一人前になる、そういう印象を持つ。『魔性』に支配されている様では当然、『大人』とは呼べないからだ。

 

しかし、どうやってその、次から次へと湧き出て来る『魔性』を、押し込めて支配し、劣位にすればいいのだろうか。

 

『どうやって』、も何もない。目の前で大切な家族が殺されそうになるとき、目の前のアイスクリームを取るか(アイスクリームが何よりも好きな場合)、家族の命を取るか。

 

その時、『アイスクリーム(魔性)を取る』人間はいない。だとしたら、ただの甘えだ。普段、『ストイック』になれない理由は、単なる甘えなのである。自分の命や、家族の命が、今日も明日も未来永劫として続く。そういう風に認識している人間の『甘え』は、ただただ、『現実を知る』だけで、改善される。

 

ジャン・パウルは言った。

『人生は一冊の書物によく似ている。愚かな者はそれをパラパラとめくっているが、賢い者はそれを念入りに読む。なぜなら彼は、ただ一度しかそれを読めないことを、知っているからだ。』

 

その『現実』だが、実は『逃避』することができる。…と思い込んでいる人間が実に多い。つまり、実際には逃避はできない。できるのは『一時的な逃避』と『先延ばし』だけで、必ず逃げたツケは回ってくるようになっている。

 

例えば私の部下は、やることを先延ばしにし、刹那的に人生を生きる代表格のような人間だが、今が楽になればそれでいいと考え、いつまでも先に責任を伸ばし続け、もう10年が経った。そして、彼はそのツケを払い続ける人生を強いられているのである。

 

矢沢永吉は、

『20代で苦労した者だけが、30代で夢の世界を見ることが出来る。』

 

と言ったが、実にその通りだ。また、こうも言っている。

『20代で頑張った奴だけが、30代のプラチナチケットを手に入れられるんだ。』

 

彼は現実逃避ができると思い込み、責任を先延ばしにし続け、プラチナチケットを手に入れるチャンスを失ったのである。とりあえず、30代のチケットはもう立ち見席しか余っていない。

 

もし、彼が40代のプラチナチケットを手に入れるためには、30代を死ぬ気で努力するしかほかに道はない。いや逆に、そうすれば彼のような人間でも、プラチナ席に座ることが出来るのだ。その事実に淡々と目を向けたいのである。

 

『人必死の地に入れば、心必ず決す。』

 

彼の意が決しない理由は、まだまだ彼に余裕があるからだ。両親も存命であり、衣食住がある。『必死の地』に強制的に入り、その外部要因の後押しを受けてでもいいから、人はこの人生で必ず、悔いのない人生を生きる覚悟を燃やさなければならない。

 

立ち向かう

 

 

 

※この文章は全てオーナー独自の『名言を通した見解』です。一つの参考として解釈し、言葉と向き合い内省し、名言を自分のものにしましょう。

著者:一瀬雄治 (Yuji Ichise)

 

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著者:一瀬雄治(Yuji ichise.)

 

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