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『真理(愛・神)から逸れれば逸れるほど虚無に近づく。』(5ページ目)

 

目次

 

5.

  • ブラックボックスが生んだ虚無
  • 間違っていた真理(神・愛)
  • 引力に支配される人間
  • 『虚無(嘘)から逸れれば逸れるほど、真理(神・愛)に近づく』
  •  

     

     

    ・NEXT(蛍のような『限界のある』光)

    ・⇐BACK(イエスの『たとえ話』)

     

    ブラックボックスが生んだ虚無


    『真理(愛・神)から逸れれば逸れるほど虚無に近づく。』

     

    真理(愛・神)

     

    ではここでは、その他の様々な分野に視野を広げ、この図式が人間をどれだけ支配しているかということを確認していこう。

     

    進化発生生物学(エボデボ)分野のスーパースター、ショーン・B・キャロルの著書、『シマウマの縞 蝶の模様 エボデボ革命が解き明かす生物デザインの起源』にはこうある。

     

    ------------------▼

     

    神学と科学との関係に関心をもっているジョン・テンプルトン財団の理事長チャールズ・ハーパーが、最近になって科学誌『ネイチャー』に寄稿し、

    『科学の知見が増大しつつある時代にあって、科学知識の"欠落"に根差した宗教への肩入れは、そうした欠落が埋まればおのずと萎んでゆくだろう。現在は進化学に戦いを挑んでいるキリスト教徒たちも、やがては進化学に本気で向き合わねばならなくなる』

     

    と発言したのだ。ハーパーの意見は正しい。胚や遺伝子、ゲノムに関する理解がかつてないほど深まり、化石もどんどん見つかっている中にあって、そうした欠落は急速に消失しつつある。

     

    進化

     

    そうした欠落に対する誤った信念の一例を示そう。生化学者マイケル・ベーエが1996年に出版した『ダーウィンのブラックボックス──生化学から進化論への反論』で披露されている誤解である。博士号をもつ科学者ベーエが書いた本を、創造論者たちは神の贈り物として歓迎した。生きている細胞は分解できないほど複雑な実態であるというベーエの主張は空疎(くうそ。見せかけだけで内容がないこと)である。ベーエは、生物学は複雑な現象を分子の過程に還元しようとして壁にぶち当たると言い続けてきた。ベーエは、生命科学の革命によってその悲観的予言が抹殺されてしまった多くの預言者たちの同類である。

     

    スワスモアカレッジの生物学者で有名な発生生物学の教科書の著者にして発生学史と進化生物史にも臓器が深いスコット・ギルバートが、ベーエの立場とその論拠の破綻を次のように要約している。

    『創造論者に言わせれば、進化学と遺伝学を総合しても、魚が両生類になり、爬虫類が哺乳類になり、霊長類が人類になったことは説明できないという。…ベーエは、新しい分類群の創造を遺伝学では説明できないことを『ダーウィンのブラックボックス』と呼んでいる。そのボックスを開ければ、神が存在する証拠が見つかるとベーエは信じているのだ。

     

    ブラックボックス

     

    しかし、ダーウィンのブラックボックスの中には、単に別のタイプの遺伝学である発生遺伝学が入っているにすぎない。』

     

    発生遺伝学は、かれこれ20年にわたって、複雑な構造づくりと多様性の進化という問題に新しい光を当ててきた。創造論者は、それに目を向けることに頑なに拒んでいるだけなのだ。これほど圧倒的な証拠を、どうしたら無視したり否定したりできるのだろう。

     

    ------------------▲

     

    真実が進化論か創造論のどちらに傾くかはさておき、人がそれらを打ち立てたのは、どちらにせよ、そこに『ブラックボックス(無知)(虚無)があったから』だ。一体どうやって人間や動物や虫や植物は誕生して、海や山や森ができて、昼がきて、夜がくるのか。また、人は死んだらどこへ行くのか。それぞれの生物にはなぜ様々な種類のものがいるのか。それが全く『不明』だった。したがってそこにあったのは『無知(虚無)』だった。

     

    アダムとイブ

     

    『ノア 約束の舟』 「天地創造」シーン 特別映像

     

    はなんだ。地震はなんだ。奇病飢饉干ばつはなんだ。一体なぜ、一生懸命生きていただけなのに、青天の霹靂の如く、我々に不幸がやってくるのだ。

     

    あの人は本当に誠実だった…。あの子は本当に良い子だった…。

     

    こんな理不尽があるのか。あってたまるか。…考えられるとしたら、人間の理解の範疇を超えた『何か』の存在の仕業なのだ。

     

    雷

     

  • 『太陽は地球の周りを回っているんだ』
  • 『飢饉があるのは生贄を捧げなかったからだ』
  • 『この世を支配する、神様という存在がいるんだ』
  • 『病気になったのは神の審判、あるいは悪魔の仕業だ』
  • 『今、奴隷で辛いのは、生まれ変わって来世で幸せになれるからだ』
  •  

    そう考え、人々は『そこにあった無知(虚無)』を埋めたのだ。

     

    だが、今の人間がその考え方を見て、本当に心底から納得が出来るだろうか。本当に心に微塵も『虚無(違和感)』はないだろうか。

     

    あるならそこにあるのは『真理(神・愛)』ではない。

     

    『真理(愛・神)から逸れれば逸れるほど虚無に近づく。』

     

    真理(愛・神)

     

    しかし、そもそも『進化論』は本当に正しいのだろうか?絶対に、100%、『人は必ず死ぬ』というくらい、間違いなくそうなのだろうか。

     

    その答えに本当に心底から納得が出来るだろうか。本当に心に微塵も『虚無(違和感)』はないだろうか。

     

    あるならそこにあるのは(まだ)『真理(神・愛)』ではない。

     

    『真理(愛・神)から逸れれば逸れるほど虚無に近づく。』

     

    真理(愛・神)

     

    つまりここで言えるのは、

    『人はまず無知(虚無)から真理(神・愛)を見つけようとした。無知(虚無)の苦痛に耐えられなかったからだ。だが、知識も知恵も今よりもうんと未熟だったがゆえに、

     

  • 生贄
  • 呪い
  • 祟り
  • 悪魔
  • 魔女
  • 妖怪
  • お化け
  • 幽霊
  • 地球平面説
  • 天動説
  •  

    のような間違った答え(真理・神・愛)を想像してしまった。

     

    幽霊

     

    昔エジプトの人々は、『人は死んでもその魂は決してなくなるものではない。いつかはきっとその身体にまたもどってくるものだ。』と固く信じていた。

     

    王様が亡くなった時には、王様の魂がまたその身体に帰って来られるまでというつもりで、王様の遺骸をミイラにして、立派な意志の塔を建てて、そのなかに大切にしまっておいた。これが、『ピラミッド』であるという、有力な一節がある。 

     

    ピラミッド

     

    イングランドの詩人、ジョン・ドライデンは言った。

    『死人に口なし。』

     

    つまり、人は『死んだ人が喋らない』、『死後のことがわからない』という事実に虚無を覚えたので、様々な仮説を想像し、その仮説を『確信』することでその虚無を晴らそうとした。

     

    しかし人が蘇ることはなかった。だが、人々はその答えが真理(神・愛)だと思った(思い込んだ)。だからその人たちにとっては、それが真理(神・愛)だったから、心の無知(虚無)は晴れた。

     

    『真理(愛・神)から逸れれば逸れるほど虚無に近づく。』

     

    この図式通りになったのだ。つまり、『そうなっているのだ』と認識したことで合点がいき、つじつまが合ったと思い、それによって心の虚無(無知)が晴れていったのである。

     

     

    間違っていた真理(神・愛)


    しかし、本当はその答えは真理(神・愛)ではなかった。それがわかってきたとき、人々の心は再び虚無(無知)に覆われた。だから心の平安が乱され、力づくでその虚無(無知)を隠蔽しようとした。

     

    しかし、『それでも地球は回っていた』

     

    つまり、地球は平面ではなく(地球平面説)、

     

     

    球体だったのだ。(地球球体説は紀元前6世紀にピタゴラスによって生み出されてギリシア天文学において発展したが、ソクラテス以前の哲学者はほとんどが地球平面説を維持していた。)

     

    そしてさらに、回っていたのは太陽ではなく、地球の方だった。

     

    天動説
    画像

     

     

    ブルーノという修道僧は、このコペルニクスが提唱した地動説を熱烈に支持し、自分が正しいと信じる世界の考え方を広めようといたるところで講演をしたが、これは当時の法王の天動説的常識や、聖書の教えに著しくそむくものだと考えられたので、1600年2月17日、ローマのカムポ・ディ・フィオリという広場で、火あぶりにされてしまった。

     

    これに続いてガリレオは、コペルニクスの説の正しさを確信して意見を主張したが、宗教裁判にかけられ、無知な裁判官の前にひざまずかなければならなかった。

     

    それは、その『地動説』によって、今まで信じていた真理(神・愛)を否定され、心が虚無(無知)に覆われた人間が現われたからだった。

     

    人間というものはとにかく、この『虚無』に対して非常に強い抵抗感を持つ生き物らしい。

    『真の法律、仁義、道徳、倫理、大道といったものは、まるで、地球を囲む大気圏だ。その一線を超えたら、人は、人でなくなってしまう。』

     

    にも書いた様に、『法律』とは、その『抵抗感』をもとに構築された、人間の規範の総体と言っていいだろう。その『大気圏』から外に出ると、人は『虚無』に陥る。

     

    法律

     

    9.11を経て、宗教についての疑問を爆発させた、『利己的な遺伝子』で有名なリチャード・ドーキンスの著書『神は妄想である』にはこうある。

     

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    ブルームはまた、人間が生得的に創造論者となる傾向をもつのではないかとも言う。自然淘汰は、『直感的に受け入れにくい』ものだ。心理学者のデボラ・ケレマンが、『子供は、直感的な有神論者か?』という論文の中で述べているように、子供はとくに、あらゆるものに目的を付与する。

     

    雲は『雨を降らすためにある』。

    尖った岩は『動物が痒くなったときに掻くことができるようになっている』。

     

    雲

     

    この様に、あらゆる目的を付与することは目的論と呼ばれる。子供は生まれつきの目的論者であり、多くの人間は成長しても、そこから完全に抜け出すことはできない。

     

    ------------------▲

     

    『虚無(無知)を晴らしたい』という目的から、目的論によって、様々な誤謬(ごびゅう。間違った考え)は生まれ、その中に『神様』の存在もあった。事実、『神様がいるとしか思えない』ような、

     

  • 奇跡
  • 悲劇
  • 理解不能な出来事
  •  

    がたくさん起きたのだ。

     

    しかしそれは例えば、『イエスの奇跡とプラシーボ効果』に書いたような偶然かもしれないし、『天動説』が正しいと間違えて解釈してしまったように、必ずしも人が正確な答え(真理・神・愛)を見つけることが出来るとは限らないので、不完全な答え(真理・神・愛)なのだ。

     

    ニーチェは言った。

    『事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。』

     

    では、本当に人間はニーチェの言うように、『その時々に納得のいくように解釈するだけのことしかできない』のだろうか。

     

     

    引力に支配される人間


    何らかの引力に書いたアリストテレスやアリストパネスの例のように、人は遥か昔から『引力』のようなものに衝き動かされていたことは間違いない。それはもちろん、キリスト教の『7つの大罪』、

     

  • 傲慢
  • 強欲
  • 怠惰
  • 嫉妬
  • 憤怒
  • 暴食
  • 色欲
  •  

    といったような、『自制心が弱いゆえに引き寄せられる』、欲望もそこに数えられる。だが、自制心の強い、冷静沈着で知的な探究心を持った自律的な人間であっても、やはり違う『引力』には引き寄せられていた。

     

    例えば、『虚無というサイン(引力)』をもとに正確な答え(真理・神・愛)を見つけることが出来た、ある天才の話だ。

     

    東京大学大学院理学系研究科教授で理学博士の、佐藤勝彦氏の著書、『「相対性理論」を楽しむ本』にはこうある。

     

    ------------------▼

     

    運動の相対性を無視する光

     

    地面の上を時速60kmで走る自動車同士がすれ違う時、自動車に乗っている人から見れば、相手の自動車のスピードは時速120kmに見えます。これは『速度合成の法則』と呼ばれるものです。自分を基準にした相手の速度、つまり相対的な速度が、自分と相手の速度の足し算・引き算で計算できることは、『ガリレイの相対性原理』に基づくニュートン力学の基本中の基本でした。

     

    それなのに、光はなぜか、光を観測する人が止まっていようが、動いていようが、いつも一定の速度。つまり秒速約30万kmと観測されるのです。光には速度合成の法則が当てはまらないのです。

     

    光

     

    (中略)

     

    これは困ったことです。光には、速度合成の法則や運動の相対性という考えが通用しないとすれば、『宇宙のどんな運動でも説明できる』とされていたニュートン力学に重大な欠陥があることになってしまいます。

     

    多くの物理学者がこの実験結果を、ニュートン力学の範囲内でなんとか説明しようとしましたが、強引なつじつま合わせがほとんどでした。光の媒質であるエーテルが見つからないことと、光の速度が常に一定に見えること、この二つは、19世紀から20世紀初めの物理学の最大の謎だったのです。

     

    (中略)

     

    さて、そこにアインシュタインが登場します。

     

    アインシュタイン

     

    アインシュタインは、光速度が一定に観測されるという謎を解くには、私たちが今まで持っていた時間や空間、特に時間に対する認識を、全く改める必要があるという、革新的なことを言いだしました。光速度が一定であることに注目して考えを進めていくと、従来の時間や空間の概念を方向転換せざるを得ない、そして方向転換後の姿こそが、時間や空間の真の正体だ、と考えたのです。

     

    時間

     

    ------------------▲

     

    アインシュタインは、

     

  • 光には速度合成の法則が当てはまらない
  • ニュートン力学に見て見ぬフリができない欠陥がある
  •  

    などの『無知(虚無)』を道しるべにし、そこから、人々が『絶対的なもの』だと微塵も疑わなかった『時間』を疑い、相対性理論を導き出した。そしてその相対性理論は20世紀最大の発見の一つであり、人々の『解釈』のレベルを次のステージに確実に引き上げたのだ。

     

    これは、『宇宙と時間の圧倒的な力』にも書いた様に、極めて高い確率で正確な答え(真理・神・愛)だと断言できるものなのである。

     

    だが、本にはこうもある。

     

    ------------------▼

     

    残すは宇宙誕生の謎…

     

    インフレーション理論は、真空のエネルギー=宇宙項を復活させることで、なぜ宇宙が膨張したのか、なぜ宇宙は火の玉の状態から始まったのかという、ビッグバン宇宙を作るメカニズムを明らかにしました。また、私たちの宇宙が別の母宇宙から生まれたのかもしれないことも説明しました。

     

    光

     

    しかし、それでもまだ謎が残っています。宇宙創成・宇宙誕生の謎です。宇宙の本当の始まりは、どのようなもので、なぜ宇宙は生まれたのでしょうか。たとえ、私たちの宇宙が、母宇宙から生まれた子供だとしても、ではその母宇宙はどうやって生まれたのか、という疑問は解決されていません。インフレーション理論では、一番最初の母宇宙がどのように生まれたのかを説明できないのです。となると、やはり『最初の宇宙は神様が作った』としか言えないのでしょうか?

     

    宇宙

     

    無からの宇宙創成

     

    ところが、1983年、ウクライナ生まれの物理学者ビレンケンは、『宇宙は物質も空間も時間もない、無の状態から生まれた』とする理論を発表しました。また同じころ、日本でもおなじみの、車椅子の物理学者ホーキングは『無から宇宙が生まれた際、宇宙は虚数の時間を通ってきた』とする『無境界仮説』を発表しました。

     

    (中略)

     

    ビッグバン理論、インフレーション理論、無からの宇宙創成論。これらによって、私たちの宇宙がなぜ、どのようにして生まれたのかを、科学的に説明することが可能になりました。

     

    (中略)

     

    宇宙の最後は、このまま宇宙が膨張を続けるのか、それともどこかで膨張が止まり、逆に収縮を始めるのかで大きく異なります。宇宙が膨張し続けると、銀河と銀河の間はほとんど広がり、宇宙はすかすかの希薄な状態になります。やがてすべての星は燃え尽き、新しい星も生まれず、宇宙は星の燃えカスやブラックホールがところどころにあるだけの、暗黒となるでしょう。

     

    ブラックホール

     

    逆に宇宙がどこかで収縮に転じると、銀河間の距離は近くなり、また宇宙全体の温度も上がってきます。宇宙の歴史を逆にさかのぼっていくわけです。やがて星は高温で蒸発し、すべての原子は陽子と電子に、さらに小さい素粒子にと分解され、ついには宇宙は再び一点に収縮してしまいます。これがビッグバンの反対の、ビッグクランチと呼ばれるものです。ビッグクランチの先に何があるかは、現在では見当もつきません。

     

    ------------------▲

     

    相対性理論は確かに、過去の伝説的な真理(神・愛)に比べて、桁違いの正確性と真実味を持っている。だが、それでも科学の力でもまだ完全にすべて(真理・神・愛)は明らかにされたわけではない。

     

    『世界平和の実現に必要なのは『真理=愛=神』の図式への理解だ』にも書いた様に、

     

  • 創造論・進化論問題
  • 宇宙の果てに何があるか
  • この世の終わりはいつか
  • 死後の世界はあるのか
  •  

    という問題は、そう簡単には答えは出ない。とくに『死後の世界』に関しては、生きている人間なら全員、何人たりとも知ることは絶対にできない。確かに『予想』したり、各々で『確信』を持つことはできる。だが、イギリスの哲学者、ジョン・ロックが言った様に、

    『確信の強さがそのまま正しさの証拠になるわけではない。』

     

    のである。わかっているのは、

     

    『真理(愛・神)から逸れれば逸れるほど虚無に近づく。』

     

    真理(愛・神)

     

    ということ。そしてここで考えてわかったように、

    『人が独自に解釈した真理(神・愛)であっても人は、その真理(神・愛)に近づけば、人の心は虚無から離れられる』

     

    のである。

     

     

    『虚無(嘘)から逸れれば逸れるほど、真理(神・愛)に近づく』


    だとしたら人間は、ニーチェの言うように、こういう無限ループ

    (独自解釈⇒理解できた真理⇒真理が改正される⇒虚無を恐れて隠蔽⇒やむを得ず認める⇒新たな真理を受け入れ、それによって虚無を晴らす⇒真理が改正される⇒)

     

    ループ

     

    を繰り返し続けるのだろうか。それともアインシュタインら稀有な識者が導き出した真理(神・愛)は、『絶対的』なのだろうか。

     

    やはりわかっているのは、

     

    『真理(愛・神)から逸れれば逸れるほど虚無に近づく。』

     

    真理(愛・神)

     

    ということ。そして、

    『人が独自に解釈した真理(神・愛)であっても人は、その真理(神・愛)に近づけば、人の心は虚無から離れられる』

     

    が、

    『その真理(神・愛)の正確性に欠ければ欠けるほど、虚無に覆われる人の数は増える』

     

    ということになる。だがそう考えると、『1+1=2』のように、極めて全ての人に等しい人が納得できる『真理(神・愛』というものは、『真実の真理(神・愛)』と断定できる可能性が高い。

     

    ではもう一度、『世界がわかる宗教社会学 入門』にあるこの一文を見てみよう。

     

    ---------------▼

     

    タントリズムの世界

     

    密教はその後、ヒンズー教と混淆して、インドから仏教は消えてしまいます。密教の流れをくむタントリズムは、『しりん』(墓地の裏手の荒れ地)で男女抱合の儀式を行いサンヴァラ(性的合一による至高の快楽)を得る、という怪しげなものでした。地面の上に曼荼羅を描き、般若=女性、方便=男性、菩提心=男女の抱合という象徴方程式を立てて、集団的に男女が抱合します。

     

    この儀式専門の、『だきに』という秘教集団の女性もいました。このように、性的快楽を、密教にいう『成仏を確信する方法』に採用したのがタントリズムです。そのほかに、

     

  • 殺生
  • 妄語
  • 糞尿食
  •  

    など、仏教の戒と反対のことを故意に行う修行法まで現われました。

     

    密教 

    ---------------▲

     

    あなたはこの真理(神・愛)に、どれほど正確性があると思うだろうか。やはり、

     

    『その真理(神・愛)の正確性が欠ければ欠けるほど、虚無に覆われる人の数は増える』

     

    のであり、人間が感じる『虚無』は何らかのサインの可能性が高い。つまり、そのアインシュタインの話と、この画像を見て想像できるように、

     

    真理(愛・神)

     

    『虚無(嘘)から逸れれば逸れるほど、真理(神・愛)に近づく』

     

    可能性が高い。

     

    ここでもう一度、ナチスの強制収容所に収監され、人間の想像を絶する3年間を過ごしたドイツの心理学者、ヴィクトール・E・フランクルの著書、『夜と霧』の内容を見てみよう。正直、これ以上の『この世の地獄』は考えられない。日本の原爆の被害同様、ホロコーストという史上最悪の現実に、全神経を研ぎ澄ませ、目を向けてみよう。

     

    ※この収容所での具体的な出来事は、『アウシュビッツ強制収容所』に書いた。読むなら覚悟しなければならない。

     

    ヒトラー

     

    --------------▼

     

    そのとき、ある思いがわたしを貫いた。何人もの思想家がその生涯の果てに辿り着いた真実、何人もの詩人がうたいあげいた真実が、生まれて初めて骨身に染みたのだ。

     

    愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。今私は、人間が詩や思想や信仰を通じて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得した。愛により、愛のなかへと救われること!人は、この世にもはやなにも残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。

     

    愛

     

    (中略)

     

    ほどなく、わたしたちは壕の中にいた。きのうもそこにいた。凍てついた地面につるはしの先から火花が散った。頭はまだぼうっとしており、仲間は押し黙ったままだ。私の魂はまだ愛する妻の面影にすがっていた。まだ妻との語らいを続けていた。そのとき、あることに思い至った。妻がまだ生きているかどうか、まったくわからないではないか!

     

    そして私は知り、学んだのだ。愛は生身の人間の存在とはほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在、つまり(哲学者のいう)『本質』に深くかかわっている、ということを。愛する妻の『現存』、わたしとともにあること、肉体が存在すること、生きてあることは、まったく問題の外なのだ。

     

    愛

    --------------▲

     

    『虚無(嘘)から逸れれば逸れるほど、真理(神・愛)に近づく』

     

    この時最悪の状況を強いられた彼らの心にあったのは、虚無、虚無、虚無。虚無以外の何があるのだ。こんなところ、この世の誰が具体的に想像できる。具体的な想像が誰も出来ないのだ。怖ろしくて、腹が立って、誰もがその状況を具体的に想像すれば、そこにあるのは虚無以外のなにものでもない。それほど凄惨な体験を彼らは強いられたのだ。

     

    命を絶った者もいた。絶望に堕ち、二度と戻らない人もいた。しかし、ヴィクトール・E・フランクルは『愛(真理・神)』に『近づく』ことで、虚無から解放され、 ほんのいっときにせよ至福の境地を体験することが出来た。

     

    これは、そのホロコーストという状況が『虚無(あってはならない歪んだ現実)』だったからだろうか。それとも、彼が『愛(真理・神)』に近づいたからだろうか。

     

    恐らく、その両方だったからだろう。

     

     

     

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