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『世界平和の実現に必要なのは『真理=愛=神』の図式への理解だ。』(3ページ目)

 

目次

 

3.

  • 忠実な人間にだけ与えられる威厳
  • 宇宙と時間の圧倒的な力
  • なにものにも支配されない愛(神・真理)
  •  

     

     

    ・NEXT(愛(神・真理)のない空間はあるのか?)

    ・⇐BACK(『私は、ある』)

     

     

    忠実な人間にだけ与えられる威厳


    次は『スポットライト 世紀のスクープ』についてだ。

     

     

    この映画は、カトリック神父による少年虐待事件を映画化したものである。実際にあった話だ。

     

    もう、この話は簡単に終わらせよう。カトリック神父という、極めて大きな影響力を持つ人間が、少年に性的虐待をしていた。ゲーガンという神父が、30年の間に80人もの児童に性的虐待を加えていたというのに、その扱いが極めて小さく、埋もれてしまっていた。つまり、そこには何らかの圧力が働き、真実が隠蔽されかけていたのだ。これは、その真実を、勇気あるジャーナリストたちが命懸けで暴こうとし、奮闘する映画だ。

     

    アメリカ等のキリスト教圏内では、カトリックの神父というのはテレビでコメントが放送されるほどの影響力を持つ、極めて重要な立場だ。そうした人物が、その権力の特権を乱用し、不義理を働いていた。

     

    これでもう十分だろう。『真理=愛=神』だ。つまり、これらは全て同じものの可能性が高いのだ。何よりこれらは三つとも、『ここから逸れれば虚無に陥り、近づくと心に充足を覚える』という共通点をもっている。特定の人がそこに神様の存在を感じる(神様という支配者に『救われた』と感じる)と思うのは、まるで奇跡を体験した(間違いなく自分たちが考えられるようなものではない、自分たち以外の何かの力が働いた)かのように、心が充足する(温まる)のを覚えるからなのだ。

     

    充足

     

    しかし恐らくそれは『神様の仕業』ではない。なぜなら、特定の人物の利益を満たす為だけに存在する神様など、人間の創り出した虚像だからだ。もし神様という人格神がいると仮定した場合でも、その人は絶対に人間(特にその特定の人物)だけの味方ではない。人が食べるため、着るために殺生され、人のために実験される動物、踏みつぶし、埋め立てて殺す昆虫、伐採する植物、目に見えない小さな生命を含めた、生きとし生けるものすべての味方であることはもちろん、

     

    動物

     

    それ以外の万物すべての味方であり、決して人間だけのために存在しているのではない。この決定的な事実を直視できない視野の狭い人間本位な人間には、どちらにせよ『神(創造者)』の名を語る資格はない。

     

    我々は、この『法則』に触れるか、触れないかということで、心が『充足』したり、あるいは『虚無』に陥るようになっているのだ。『神様』がいるのではない。まるで、暖炉に近づけば暖まり、離れれば冷えていくように、人間がそこに近づけば心は『充足』し、そこから逸れれば心は『虚無』になるのだ。

     

    充足

     

    その法則は目に見えない故、人々はそれを各自で独自解釈し、『真理』と言ったり、『』と言ったり、『』と言ったりしている。しかし実際には、人々はこれらが『何であるか』を正確に言い当てることができないし、未だにその全容も理解できていない。何しろこれらは目に見えないし、形をもっていないからだ。それにこれらは全て、人間が創り出した言葉であり、だとしたらその信憑性は低い。したがって、これら三つの『異なった的を射たはずの言葉』が指し示すものは、もしかしたら『同じもの』の可能性がある、ということは否定できない。

     

    充足

     

    ゴッホは言った。

    『愛は永久不滅なもの。姿かたちを変えることはあるが、本質は決して変わらない。』

     

    『真理=愛=神』。この三つの共通点はこうだ。

     

  • 人の目に見えない
  • 何ものにも支配されない
  • 永久不変である
  • 極めて厳かで尊い
  • 圧倒的な威厳と力を持つ
  • 未だに全容を理解できていない
  • 逸れると虚無に近づく
  • 近づくと充足を覚える
  •  

    もちろんこれらが同じものであるという確率は100%ではない。だが、ここまでこれらの共通点が一致するものは他にはなかなかないのだ。

     

    この法則に触れ、

     

  • それを『愛』だと認識した人は『愛っていいなあ。』と感じ、
  • それを『神』だと認識した人は『神様、ありがとうございます…』と祈り、
  • それを『真理』だと認識した人は『ユリイカ!』と叫ぶ。
  •  

    ユリイカ

    [16世紀に描かれた、風呂に入ったアルキメデスのイラスト]

     

    つまり、

     

    『キリスト教徒だからといって、神様に仕えている人間だからといって、権威ある人間だからといって、そう広く人々に認知されているからといって、その人物が正しい人間だということにはならない。』

     

    のである。その牧師に『愛』があっただろうか。そんなこと、確認する必要もない。モーセの私の見解に則って言えば、『海を割ったときのモーセ』は、その『真理に忠実になった』、つまり、別の言い方で『神に従った』ということになる。そしてそこには『愛』があり、人々の喜びがあった。

     

    だが、この神父で言えば、『真理に反することをした』、つまり別の言い方で『神に逆らった』ということになる。そしてそこには『愛』などなく、人々の虚無があった。

     

    『神様』と唱える人間が崇高なのではない。『神=真理=愛』の図式を理解し、それらに決して逆らわず、忠実になる人間にだけ、威厳が与えられるのだ。

     

     

     

    宇宙と時間の圧倒的な力


    次は『インターステラー』の話だ。

     

    この映画は、1997年に公開された、ジョディ・フォスター主演の映画『コンタクト』と少し様相が似ている。

     

     

    『コンタクト』では、素数という数字を使って信号を送ってきた(コンタクトをとってきた)地球外生命体と接触するために、彼らが送ってきた『謎の設計図』を解読し、それで作られた謎の『輸送機』に乗り、異星へと向かうまでのドラマが描かれている。この映画はこの映画でとても感慨深い作品だ。この時代にできる最大限のことをしたことがよく伝わってくる。今観ても色あせることのない本質が描かれている。ジョディ・フォスターの迫真の演技も作品の価値に大きく貢献している。

     

    宇宙

     

    この映画では『相対性理論』、つまり『宇宙と地球とでは時間の感覚が違う』というストーリーが展開されるが、この『インターステラー』はそれから17年後の2014年に公開されただけあって、『コンタクト』の『進化版』のような考え方でも楽しめる作品となっている。そして、『コンタクト』では描けなかった新境地を、我々にイメージさせてくれることに成功しているのだ。

     

    何の偶然か何かの意図か、『インターステラー』では『コンタクト』にて重要な役割を演じたマシュー・マコノヒーが主演を務めている。実際、『インターステラー』の前提は、カール・セーガン(『コンタクト』の監督)に紹介されて以来の知人どうしであり、『コンタクト』でも共同した映画プロデューサーのリンダ・オブストと理論物理学者のキップ・ソーンにより考案された。もし、二つとも観ていないという人は、コンタクト⇒インターステラーの順番で2つを観れば、これらの作品を2倍楽しめるだろう。

     

     

    地球の資源が枯渇し、人々が飢え死にする未来を予知したNASAが、密かに見つけていたワープゾーンを通し、秘密裏に『別の宇宙銀河』にある惑星を探索し、人間を移住させる、壮大な計画を打ち立てるストーリーが展開される。

     

    宇宙では時間の流れが違う。ワープしたその先に行けば、一歩間違えればそこでの1時間は、地球の数十年分。それに、そうした宇宙探索をしても助かる見込みはないし、帰りの保証もない。もし帰れても地球ではもう、知っている人がいないかもしれない。あまりにも時間が経ちすぎているからだ。

     

     

    主人公の父親は、娘のことを溺愛していたが、どのみちこのままだと地球の将来はなく、それはつまり娘の将来がないということを意味するため、娘と地球を救うために地球で娘にお別れをした。理解力のない子供である娘はそれを心底から拒絶したが、父親には固い決意があった。全ては、娘を守るためなのだ。

     

    当然父親は、できることならすぐに帰ってくるつもりだった。だが、宇宙でのちょっとしたハプニングによって、悲劇にも仲間の一人を異星にて起きた不可避の天災で失い、そこで更に時間的なロスをしてしまったことが原因で、地球との時間差が数十年近く開いてしまうことになってしまった。

     

    時間差

     

    最愛の娘や息子はその間、生きてるのかも死んでるのかもわからない父親について悩まされ続けるという、想像を絶する時間を過ごさなければならなくなった。

     

    しかし父親の体感時間は、数時間だ。当然、歳も取っていない。ハプニングの後、宇宙船に戻ると、待機していた乗組員の時間も、数十年という時間が過ぎてしまっていた。老人となったその乗組員は言った。

    『やあ…久しぶりだね…。』

     

    愕然とするその父親と、もう一人の乗組員。

     

    そしてその間、つまり地球にして数十年という時間の間、かつて幼かった娘はとっくに大人に成長し、宇宙船に一方的に届く、映像メッセージを送り続けていた。

     

    『帰ってくるって約束したのに。父さんの嘘つき。』

     

    映像を見て、涙が止められない父親。父親は、体感時間にしてほんのわずかなハプニングによって、地球に生きる娘との数十年という時間を失ってしまったのだ。こちらからメッセージを送ることは出来ない。あまりにも距離が離れすぎていて、宇宙船のポテンシャルでは、それが不可能なのだ。

     

    ※『ブラックホール』、『一般相対性理論』、『キップソーン』がわかる『インターステラー』メイキング映像。ブラックホールの視覚化は、人類史上初だった。

     

     

    キップソーン博士もこの映像化によって、『新境地』に達したようだ。

     

    ここまでで、『宇宙、時間』という圧倒的な規模について理解が深まったはずだ。宇宙と時間というものは、人間が太刀打ちできるはずもない、あまりにも壮大な規模なのだ。

     

    娘が、数十年帰ってこない父親に失望しつつも、NASAで働き、地球の防衛策を考えている中、父親は父親で、地球にいる娘の為に、宇宙の遥か彼方で奮闘していた。ハプニングによって膨大なロスは免れなかったが、しかし、まだ手はあったのだ。そして地球の為に、命懸けで有力な情報を手に入れることに成功した。父親は、それを地球に伝えようとするが、その手段が見つからなかった。

     

    更に壮絶な命懸けの挑戦によって、父親は、とある『五次元空間』に入り込むことに成功する。この映画の、難しい理論物理学的な話は、このサイトが細かく説明しているため、そちらを見た方が早い。

     

    五次元空間

     

    簡単に言えば、この映画が表現する『五次元空間』では、『時間と空間をコントロールできる』のである。我々が知っている三次元のこの世界では、縦、横、高さしかないわけだが、それが『五次元』ということになるとそれが可能になる可能性があるという考えのもと、この映画が作られているわけだ。

     

    父親は、娘がいる地球に手に入れた情報を伝えたい。そしてその五次元空間を偶然に見つけた。目の前に広がっているのは妙な違和感がある空間。見たことがあるような、だがあるわけもない、そういう空間だった。

     

    そもそも自分は生きているのか?もう死んだんじゃないか?計り知れない宇宙という広漠とした海の藻屑となり、『あの世』にでも行く途中の、さまよう魂になったのか?そんな疑問と混乱の中、その目の前の光景を手探りで認識していった。しかし、よく目を凝らしてみると、目の前にある『隙間』のような部分から、間違いなく見たことがある景色があった。

     

    それは、自分の娘の部屋だった。そしてそこにいたのは、子供の頃の娘の姿だった。

     

    学者である彼は理解が早かった。そこは、あの世へと続く奇妙な空間ではなく、『五次元空間』なのだと。そしてこの空間は、時間と空間を飛び越え、かつて自分が知っている時代の、娘の部屋に続いているのだと。

     

    五次元空間

     

    だが、何とかしてそこにいる娘に自分のメッセージを伝えようとするが、声が届かない。どうやら、声を届けることは出来ないらしいのだ。では、どうすればいいか。考えた父親は、その隙間の正体であった『本棚』から本を押し、信号を送ろうとした。

     

    実は、娘は子供時代、自分の部屋で妙な現象を体験していた。それは、急に本棚の本がランダムに倒れてきて、窓から風とともに砂が入ってくる、という、オカルト現象のようなものだった。その時、異変に気付いた娘の様子を見に、父親が部屋に入ってくる。そして、全くその現象に首をかしげることなく、娘を抱いて部屋を出ていくのである。

     

    その一部始終を本棚の裏の五次元空間から覗いている父親。

    『Stay!(行くな!)』

     

    いくら叫んでも、相手がそれに気づくことはなった。かつて実際に自分が、その現象がメッセージだなどと考えることなく、娘を抱いて部屋を出てしまったように。

     

    しかし、何とかして様々な手を使って、父親は娘にメッセージを送り続けた。声は届かないが、どうやら、『本を倒す』とか、『モールス信号を送る』とか、そういう重力を使った原始的な方法であれば、そちら側の次元にアクションを起こせるということがわかり、それで何とか意思疎通を図った。例えば、娘の部屋にあった『腕時計の針』を動かして、モールス信号を送る。それならば伝わると考えたのだ。

     

    しかし、娘がその部屋に戻ってくれなければ、腕時計を見なければその信号が伝わることはない。父親は、その五次元空間から、娘がその信号を見てくれるようなシーンを探し回り、何度も挑戦を続けた。

     

    だが、それから数十年、地球では娘がその部屋に戻ることはなかった。いつまでも帰ってこない父親に失望していたことも手伝って、思い出のある部屋に戻ることを避けていたということもあった。

     

    メッセージを見て欲しい父親。部屋に戻らない娘。

     

    ここからが重要である。

     

     

    なにものにも支配されない愛(神・真理)


    娘は、『このままでは地球が滅亡する』という絶望的な状況や、意見が合わない実の兄、あるいは、いつまでも戻らない父親の件などの様々な要因も相まって、精神的に追い込まれていた。兄と些細なことで口論し、兄が暮らす、かつて自分が父親と暮らした実家から車で走り去り、(もうその実家には戻ることもないだろう)という雰囲気が漂う中、娘は、車の中でふと妙な違和感を覚えた。

     

    (ーここで車を引き返さなければ後悔する。)

     

    映画のシーンからして、そのUターンは、間違いなく娘のその直感的な感覚によるものだということは明白だった。『何か』が娘を、実家へとUターンさせたのだ。

     

    娘は、自分の実家にUターンし、自分の部屋に戻った。久しぶりに見たその部屋は、かつて幼き頃に過ごした様相をそのまま保っていた。娘は、その部屋に妙な違和感を覚えていた。だからその部屋に戻ってきたのだ。部屋中をくまなく目視し、その違和感の正体を見つけようと必死になった。すると、気が付けば目から涙がこぼれ落ち、この部屋にはただならぬ気配が漂っていることを直感的に理解し始めた。

     

    (なんだ。一体なにがこの部屋にあるというのだ。)

     

    次の瞬間、娘は『かつてその部屋で起きたオカルト現象』を思い出した。あの時、ランダムに落ちた本、窓から入ってきた砂。あれは一体なんだったのか。大人になった自分の頭でもう一度あの現象について冷静に考えてみた。

     

    (たしかあの時。腕時計が壊れたんだ。)

     

    腕時計

     

    棚にしまってあったその腕時計を見つけると、確かにそこには秒針が進んだり戻ったりする『壊れた』時計があった。だがその瞬間、娘は理解したのだ。

     

    (……これは、パパだ…パパが私に送っているメッセージだ!!)

     

    NASAで働く娘の頭脳は、その時計の針の動きがモールス信号であるということが理解できたのだ。そして娘は、遠く離れた宇宙にいる父親から、時間と空間を超えたメッセージを受け取り、その情報をもとに地球人を救ったのだ。

     

     

     

    …では、この話のどこが『真理=愛=神』と関係しているかわかるだろうか。それは、まず人間が最も頭で理解しやすい『真理』について考えれば、自ずと見えて来るはずである。

     

  • 真理=いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道
  •  

    つまり、『神、愛』も、それと=なのだから同じ意味であるわけだ。真理とはそのような意味であるからして、間違いなく人間の住む地球にだけではなく、全宇宙に存在していることになる。

     

    下記の図を見てみよう。

     

     

    ウロボロスの図(画像) 

     

    このように、人間の規模以外にも世界が存在しているわけで、これら全ての規模の中においても、真理というものは働いているわけである。

     

    また、同じ考え方で『神』もそれで説明がつけられそうだ。神は『いる』のではなく『ある』という解釈で説明できるのである。神は『全てを創造したもの』であるかはさておき、最低限『全てに精通しているもの』でなければならない。従って、真理同様に、これら全ての規模の中にも『神がある』という考え方になる。

     

    つまり、父親がいたその『宇宙のかなた』にも、『真理・神』があった。それは想像にた易いはずである。宇宙旅行をしていて、急に『真理が働く空間を抜けた』ということにはならない。宇宙も含めた全ての世界で、『真理・神』というものは通用するわけである。

     

    例えば、父親と娘のそれで考えた時、そこには『相対性理論』や『重力の考え方』などの真理(法則)があり、それが通用したわけだ。従って、そこにあったのは『真理・神』であり、真理と神の圧倒的な力を思い知ることが出来る。真理・神というものは、時間や空間に支配されることがないのだ。

     

    だが、そう考えると『愛』だけが腑に落ちない。要は、『真理・神』が全宇宙に存在することはわかるが、『愛が宇宙空間にある』ということは、よくわからない。しかし、この映画のストーリーを通して考えた時、『愛は宇宙にもどこにでもある』という事実が浮き彫りになるのである。

     

    では、娘がUターンしたことを思い出してみよう。難しい理論物理学的な話は論理的思考で導き出すことが出来るが、最も重要なのは、なぜこの娘が途中で違和感を覚え、車をUターンさせたのかということなのだ。

     

    それは、娘の記憶の中に、かつて親子として愛を育みあった決定的な事実があり、愛の種が植え付けられていて、それが完全には消えていなかったからだ。

     

    愛

     

    『帰ってくるって約束したのに。父さんの嘘つき。』

     

    確かに口ではそう言った。そういうメッセージも送信した。だが、そんなものは口先だけの言葉で、心底の声ではないのだ。心底の部分では、かつて無償の愛を注いでくれた父親を憎むことなど出来なかったのだ。その『愛』が、娘を家にUターンさせたのだ。

     

    そして娘はメッセージを見つけた。それは、父親が時間と空間を飛び越し、送り届けたメッセージだった。 確かにそこには理論物理学的な難しい理論が存在していたわけだ。だが、娘がUターンしたという事実は、理論物理学的な話で解決できるものではなかった。

     

    そこにあったのは、『愛』だった。愛が娘に植えつけられていて、その愛が娘に(父親を信用するべきだ)という、違和感たるサインを与えたのだ。これは、父親が娘に愛を注がなければあり得なかった現象だった。単なる『記憶』や『経験』だけではだめだ。父親が暴力的であり、女を家に連れ込み、麻薬をやって酒を飲んで虐待する、というような人間であれば、あり得ない現象だった。

     

    愛

     

    彼ら親子にあった『愛』は、時間と空間を飛び越えた。つまりここでわかるのは、『愛も、真理や神と同様、時間と空間に支配されることがないもの』であるということなのだ。甚大な距離が開いていても、数十年という時間が過ぎても、二人は確かに、『愛』によって引き寄せられ、意思疎通が出来たのだ。

     

    冒頭にも書いたように、この『インターステラー』には、本物の理論物理学者キップ・ソーン博士が携わっている。あのスティーヴン・ホーキングと肩を並べる学者であり、紛れもない識者だ。そうした本物の知識をもとに映像化されたこの映画で我々人間は、間違いなく新境地を見ることが出来た。具体的な想像が出来るようになった。(物理的にきっとそうなっているのだろう)という発想が、容易になったのだ。

     

    そして恩恵はそれだけではなかった。それによって、『真理=愛=神』という図式の信憑性と、その揺るぎない権威が強化されたのだ。愛が、時間と空間に支配されないことを教えてくれた。それはまるで、真理と神がそうであるのと同じように。

     

     

     

     

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