名言を自分のものにする

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『足るを知るは富む。足るを知らぬは貧しい。』(2ページ目)

 

  • 1:足るを知らないことほど不幸なことはない
  • 2:希少性の原理
  • 3:いま与えられてあるものに満足する
  • 4:いてくれるだけ、あたりまえのことに感謝する
  • 5:『あたりまえ』を見直す
  • 6:『もっと欲しい』と思うから苦しくなる
  • 7:物質的豊かさの追求と精神的な安らぎ
  • 8:こんなにたくさん持っていた
  • 9:所有が多ければ多いほど所有物に心を奪われる
  • 10:満ち足りることを知る
  • 11:ほしいものよりもっているものを意識する
  • 12:貪欲と平和は互いに相容れない
  • 13:持つことと”ある”ことの違いの重要性
  • 14:物に頼るのは生き方に自信がない証拠
  • 15:現状で満足することを知る
  • 16:充実した人生とは
  • 17:苦難の連続でも幸せなアンジェラ
  • 18:感謝の気持ちを表す
  • 19:『知足安分(ちそくあんぶん)』
  • 20:『放下着(ほうげじゃく)』
  • 21:『本来無一物(ほんらいむいちもつ)』
  •  

     

     

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    『中国古典』の教え』の『老子』にはこうある。

     

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    『何が不幸かと言えば、足るを知らないことほど不幸なことはない。』

    禍は、足るを知らざるより、大なるはなし。

     

    老子』の処世哲学の要をなしているのが、『知足(ちそく)』、すなわち、足るを知るということである。この言葉もそれを語ったものである。むろん、人間であるからには、誰にでも欲がある。欲そのものは必ずしも否定すべきものではない。なぜなら、それがあるから、ここまで人間社会を進歩させてきたとも言えるからである。

     

    だが、欲にまかせて突っ走ったらどうなるか。いつかどこかで足を踏み外す恐れがある。現に、そんなケースがそのへんにいくらでも転がっているではないか。『老子』もそれを警告しているのである。生活にしても、これを手に入れたら、今度はあれと欲張り出すと、キリがないのである。何事にも、ほどほどというものがあるのではないか。人並みに食べていけるなら、それでよしとしたい。

     

    『老子』はまた、『足るを知れば辱められず、止まるを知れば殆(あや)うからず』とも語っている。足ること、止まることを心得てかかれば、非難されることもないし、危険にさらされることもないのだという。この教えを肝に銘じながら、日々の仕事に取り組みたい。

     

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    欲というのは際限がない。際限がないものを追い求めるのなら、当然の如く永久に『足りない』状態は続くだろう。

     

    米国を代表する社会心理学者の一人、ロバート・B・チャルディーニの著書、『影響力の武器』にはこうある。

     

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    希少性の原理によれば、人は、機会を失いかけると、その機会をより価値あるものとみなす。この原理を利益のために利用する技術として、『数量限定』や『最終期限』といった承諾誘導の戦術があげられる。これを使う実践家たちは、自分たちが提供しているものを手に入れるにはその量や時間に限りがあることを私達に信じ込ませようとする。

     

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    目の前に、ペットボトルの水がある。それは、実に当たり前の様に置いてある。だが、それは本当に『当たり前』だろうか。

     

     

     

    五木寛之の著書、『人生の目的』にはこうある。

     

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    いま与えられてあるものに満足する

     

    中国の道教の言葉でしょうか。<知足>という言葉があります。自分にとってそれほどのものが必要だろうか。戦後の五十年間というもの、私たちは豊かな生活と、そして健康で文化的な、そういう社会をつくっていくということで、坂の上の雲をめざして営々と歩き続けてきたわけですが、人間が生きているということに関して必要なものというのは、それほどたくさんのことなのだろうか。このことを最近つくづく考えるようになりました。

     

    幸福ということについても私たちは貪欲すぎるのではないか。いま与えられてあるものだけで感謝して満足する、足ることを知る、そのほうが人間らしいのではないか。

     

    それは単に物のことだけではなく、内面的な精神の問題としてもそうである。なんとか生きて、こんなふうに自分の足で歩ける、自分の耳できくことができる、そのことをあたりまえのように思わずに、本当に心から感謝し、そしてそのことだけでも自分は幸せだ、というふうに思わなければいけない。足るを知るということが、私たちには少し足りないのではないか、と思ったりすることもあります。

     

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    冒頭にも書いた様に、道教というなら、その創案者は老子だ。そしてそれに影響を受けたのは孔子だ。また、『足るを知るは富む』と説くのはブッダ(釈迦)だ。道教、儒教、仏教、中国における三教のトップ、世界に誇る名指導者たちがこうして口をそろえるのだ。

     

    実に50の職業経験と、世界40か国の旅を経験した有川真由美の著書、『遠回りがいちばん遠くまで行ける』にはこうある。

     

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    いてくれるだけ、あたりまえのことに感謝する

     

    ずいぶん昔に、母がぽつりと、こう言ったことがありました。『そういえば、私は男性にプレゼントというものをもらったことがないわ』まだ20代だった私は、母はなんとかわいそうな女だと同情したものです。父は大正生まれで、まるっきりサービス精神というものがない人でした。プレゼントどころか、お土産すら買うことも無く、家事も一切しない。私が、『そんな人、夫にするのは絶対嫌』と言うと、母は笑いながらこう答えました。

     

    『あら、いてくれるだけでいいのよ。なんにもいらないわ』

     

    (中略)

     

    人は、あたりまえにあることは、その価値に気づかないどころか、悪いところばかりをクローズアップして、不平不満を行ってしまうようです。心の品格のない人は、どれだけあっても足りないと不満を言う人。心の品格のある人は、いまあるもので幸せになろうとする人なのでしょう。

     

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    足りない、足りない、まだ足りない。おそらくあなたは一生それを言い続けるだろう。

     

    2006年に『ニューズウィーク』誌日本版にて『世界が尊敬する日本人100人』に選出された、曹洞宗徳雄山建功寺住職、増野俊明の著書、『心配事の9割は起こらない』にはこうある。

     

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    『あたりまえ』を見直す

     

    『人はあたりまえのことほど、それに対する感謝の心を忘れがちではないか』

     

    このことは、私が講演などでよくお話しするのですが、もっとも象徴的なのが親の存在でしょう。親はいるのがあたりまえ、子供のことに心を砕くのがあたりまえ、蔭になり日向になって子供を助け、守るのがあたりまえ…。どこかでそんなふうに思ってはいませんか?その『あたりまえ』のことが、どれほどありがたいことなのかを、異をもって知るのは、親を亡くしたときです。

     

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    また、本にはこうもある。

     

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    『もっと欲しい』と思うから苦しくなる

     

    お釈迦さまのこんな言葉があります。

     

    『人間の欲望というものは、たとえヒマラヤの山をすべて黄金に変えたところで、満たされることはない』

     

    人間の欲望はどこまでも果てしないものだ、ということですね。

     

    (中略)

     

    『小欲知足(しょうよくちそく))という言葉があります。文字通り、欲を少なくして、足るを知るということです。お釈迦さまの御臨終前の最後の教えとされる『仏遺教経)の中には、小欲知足についてこう書かれています。

     

    『知足の人は地上に臥すといえども、なお安楽なりとす。不知足の者は、天堂に処すといえども、また意にかなわず。不知足の者は、富めりといえどもしかし貧し』

     

    現代語訳すると、

    『足ることを知っている人は、たとえ地べたに寝るような生活をしていても、心は安らかで、幸せをかんっじている。しかし、足ることを知らない者は、天上の宮殿のようなところに暮らしていても、満足ということを感じられない。足ることを知らない者は、どんなに裕福であっても、心はいかにも貧しい』

     

    ということです。

     

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    『足るを知る』ということだ。どこへ目を向けても識者は必ずこう口を揃えるだろう。

     

    慶応義塾大学を卒業し、慶應義塾高校で教職に就き、同校生徒のアンケートで最も人気のある授業をする先生として親しまれた佐久協の著書、『論語の教え』にはこうある。

     

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    簡素な食事をし、咽が渇いたら水を飲み、腕を曲げて枕代わりにするような簡素な生活をしていても、楽しみはそうした生活の中にも自ずと見いだせるものだ。

     

    世界は永らくGNP(国内総生産)で国の豊かさを計ってきたが、最近はそれに替わって幸福度指数で国の豊かさを計ろうと提唱されている。物質的豊かさだけでは国民の幸福感が満たされないことが、ようやくわかってきたのだ。

     

    (中略)

     

    物質的豊かさの追求はとどまるところを知らず、いつまでたっても精神的な安らぎは得られない。とはいえ、物質的豊かさの裏打ちがあって精神的豊かさが成り立っていることも確かだ。経済でも両者のバランス=中庸が大切なのだ。孔子は、この章句に続けて、『見当違いの方法で、富や社会的地位を得たって、そんなものは空に浮かぶ雲のようにとらえどころのない、虚しいものだ』と述べている。

     

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    人間には『試練』が与えられている。そのうちの一つが、この無限に湧き出る欲望のコントロールである。

     

    早稲田大学商学部を卒業後、様々な経歴を経て、クリスチャン女性の国際的なグループ『Aglow International(アグロー・インターナショナル)』に所属する中村芳子の著書、『聖書88の言葉』にはこうある。

     

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    持っているものに満足しよう。こんなにたくさん持っていた

     

    経済学の『限界効用逓減』の法則。供給量が増えるにつれて、効用(価値)が低下するというもの。空腹で死にそうなとき、一杯目のカツ丼には宝石以上の価値があるが、二杯目、三杯目とありがたさが薄れ、五杯目はもうみたくもない。

     

    ところが、現代は『限界効用逓増』だと説く人もいる。食料は十分あってすでに満腹。ところが『もっと美味しいものを』『もっと珍しいものを』『あのシェフの』『ヘルシーで』『低カロリーで』とエスカレートしていく。携帯電話は持っている。でも、『もっとお洒落』『もっと高機能の』と欲求は増す。もっと偉くなりたい。もっと成功したい。もっときれいになりたい。もっと、もっと。そういうのって、疲れませんか?

     

    今持っているものに満足することを覚えるほうがずっといい。そして感謝しよう。豊かで平和な国に生まれたこと。育ててもらったこと。教育を受けられたこと。仕事があること。住む家があること。家族がいること。生きていること。こんなにも持っている。

     

    『聖書』

    金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。(へブル信徒への手紙13:5)

     

    家族

     

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    失ってから気づいても遅くはない。だが、肝に銘じなければならない。もう二度と、取り返しのつかないことは、ある

     

    東京大学文学部を卒業した中野孝次の著書、『清貧の思想』にはこうある。

     

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    考えてみるがよい。大豪邸を営めばその維持管理に大勢の人を使い、維持するだけで終日心を労さねばならなくなる。珍奇財宝を所持すれば、やれ壊すな、やれ盗まれるなとたえず気を使わねばならぬ。そもそもがそういう大邸宅の暮らしを維持するには莫大な経費がかかり、それをつくりだすためにもますます財を稼ぎ出すための働きをしなければなるまい。

     

    まことに愚かなことである。人は所有が多ければ多いほど所有物に心を奪われて、心は物の奴隷となってしまう。

     

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    清貧。まさにそれこそが、足るを知ることである。

     

    儒教、仏教、道教を深く学び、足りない部分を補って創り上げた、洪自誠(こうじせい)の著書であり、川上哲治田中角栄五島慶太吉川栄治ら昭和の巨人たちの座右の書である、『中国古典の知恵に学ぶ 菜根譚』にはこうある。

     

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    満ち足りることを知る

     

    欲にとらわれているものは、金をもらっても、宝石をもらえなかったことに不満を抱き、高い地位を与えられても、その上のより高い地位を与えられなかったことに恨みを抱く。こういう人は、高い地位についたとしても、自ら乞食に成り下がっているようなものだ。

     

    分をわきまえ、満足することを知っている人は、どんなに粗末な食事でもおいしいと言い、どんなに粗末な服を着ていてもあたたかいと言う。こういう人は、地位も財産もない貧しい庶民であっても、心は王侯よりも豊かである。

     

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    心理学者でストレス・コンサルタントのリチャード・カールソンの著書、『小さいことにくよくよするな!』にはこうある。

     

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    ほしいものよりもっているものを意識する

     

    私はストレス・コンサルタントとして十数年やってきたが、クライエントについてもっとも気になるのは、もっているものよりほしいもののことばかり思い浮かべる傾向だ。

     

    すでに多くのものをもっているにもかかわらず、欲望のリストは膨らむ一方。『これが手に入れば幸せなのに』といった、もっともっとという願望は、それが手に入ったあとも繰り返され、いつまでたっても満足することがない。

     

    私の友人は、買ったばかりの家を人に貸す契約をした。次に彼に会った時、こんどはもっと大きい家を買うつもりだと言った!彼だけではなく、私たちの大半は同じことをやっている。あれがほしい、これがほしい、それが手に入らないとなると、そのことばかり思い浮かべてー不満が消えない。

     

    それが手に入れば入ったで、また同じことを考えるだけだ。だから、ほしいものが手に入ったのに、まだ不幸せのまま。なにか新しいものにあこがれ続けるかぎり幸せはやってこない。

     

    (中略)

     

    ほしいものではなく、もっているものに意識を切り替えれば、人生は前よりずっと楽しくなる。おそらく生まれてはじめて満足するという意味がわかるだろう。

     

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    足りると思えば足りる。足りないと思えば足りないのだ。

     

    ドイツの哲学者、エーリッヒ・フロムの著書、『生きるということ』にはこうある。

     

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    私はすべてのものを私自身のために欲するということ、分かち合うことでなく、所有することが私に快楽を与えるということ、私は貪欲でなければならない、なぜならもし私の目標が持つことであるのなら、私が持てば持つほど私はあるのだから、ということ、私はほかのすべての人びと、すなわち私がごまかしたいと思う顧客や、やっつけたいと思う競争者や、搾取したいと思う労働者に対して敵意を持たなければならない、ということ。望みにはきりがないので、私は決して満足することができないし、より多く持つ人びとをうらやみ、より少なく持つ人びとを恐れなければならない。

     

    しかし私はこれらすべての感情を抑圧しなければならない。それは私自身を(自分に対しても他人に対しても)すべての人がそう見せかけているように、ほほえみをたたえた、理性的な、誠実な、親切な人間のように見せるためなのである。

     

    持つことへの情熱は終わることのない階級闘争をもたらすにちがいない。

     

    (中略)

     

    だれもがより多く持つことを望むかぎり、階級の形成があるに違いないし、階級闘争があるにちがいない。そして地球全体として見れば国際間の戦争があるにちがいない。貪欲と平和は互いに相容れないのである。

     

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    また本にはこうもある。

     

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    持つことと”ある”ことの違いの重要性

     

    持つこと対あることの選択は、常識に訴えるものではない。持つことはだれが見ても、私たちの生活の正常な機能だろう。生きる為には物を持たなければならないのだから。そのうえ、物を楽しむためには物を持たなければならない。

     

    持つこと―それもますます多くを持つこと―を至高の目的とし、或る人物について『100万ドルの値打ちがある』という言い方が許される文化において、どうして持つこととあることとの間の選択などあえりようか。それどころか、あることの本質そのものは持つことなのであって、もし人間が何も持たなければその人は何ものでもありはしない、と思われることだろう。

     

    しかし偉大な<人生の教師たち>は、持つこととあることとの間の選択を、彼らのそれぞれの体系の中心的な問題としてきた。

     

    ブッダ(釈迦)は、人間の発達の最高段階に到達するためには所有を渇望してはならないと教える。

     

    イエスは教える。『自分の生命を救おうと思う者は、それを失うであろう。しかし私のために自分の生命を失う者は、それを救うであろう。たとえ全世界を得ようとも、自分を失い、自分を損するならば、何の益があろうか。』(ルカ伝9.24-25)

     

    マイスター・エックハルトは、何も持たず自分を開き<空虚>とすること、自分の自我にじゃまされないことが、精神的富と力を達成するための条件であると教えた、

     

    マルクスは、ぜいたくが貧乏に劣らず悪であること、そして私たちの目的は多くあることでなければならず、多く持つことであってはならないと教えた。

     

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    数々の偉人の人生を研究する、上智大学名誉教授、渡部昇一の著書、『エマソン 運命を味方にする人生論』にはこうある。

     

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    物に頼るのは生き方に自信がない証拠

     

    そういう視点に立って生活というものを考えると、生きることはとてもシンプルになります。贅沢な車を乗り回す必要もないし、贅沢な別荘を持つ必要もない。衣食住をまかなう必要最低限のものがあればいいのですから、あくせくする必要もありません。

     

    私はその点で家内に感謝をしたことがあります。昔、別荘ブームというものがありました。『別荘を持っていないと一人前ではない』といわれ、別荘を買う人が多かったのです。そのころ、富士山の近くに立派な別荘を持っていた知人が、わたしに『買わないか』とすすめてきました。しかし、家内の意見は『別荘に使うお金があったら、毎日の生活に使いたい。クーラーを入れたり、毎日の生活を快適にするために使いたい』というものでした。わたしもそれに賛成でしたから『別荘なんか必要ないよ』とお断りしたのです。

     

    ところが、この話を聞いた知り合いの奥さんが『うちなら買えます』といって、その別荘を買いました。ある種の見栄だったようです。しかし、買ったはいいものの、そんなに行く機会もないし維持費はかかるというので、むしろ困った状況になってしまいました。

     

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    早稲田大学を経て、情報会社・出版社の役員を歴任した岬龍一郎の著書、『言志四録』にはこうある。

     

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    自分の置かれている身分(立場)を知れば、過分なことは望めないし、また天分(才能)を自覚すれば、現状で満足することを知る。

     

    老子の言葉にも、『足るを知る者は富む』というのがある。欲を捨てて自分の境遇に満足できる人間は、心豊かであるとの意味だ。これを『知足』という。源信の『往生要集』でも、『足ることを知らば、貧といえども富と名づくべし。財ありとも欲多ければ、これこそ貧と名づくべし。』という。人間の幸不幸は心ひとつの置き所ということか。

     

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    まだ足りないだろうか。

     

    クリントン政権下でゴア副大統領の首席スピーチライターを務めたダニエル・ピンクの著書、『モチベーション3.0』にはこうある。

     

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    充実した人生とは

     

    毎年、約1300人がロチェスター大学を卒業し、いわゆる現実の世界へと旅立っていく。エドワード・デシとリチャード・ライアン、同僚のクリストファー・ニェミェツは、卒業予定者からサンプルとなる学生を選び、人生の目標について訊ねた。その後、追跡調査を実施し、キャリアが始まってからしばらくの間、状況を調べることにした。

     

    多くの社会学調査では、任意の学生を調査するものの、彼らが学び舎を発ったあとについて、ほとんど追跡調査が行われていない。そこでこの三人は、大学卒業後の一定期間にわたって調査をしようと考えた。この期間は、『大人としてのアイデンティティと人生への移行となる、重要な発展の時期』にあたるからだ。

     

    学生のなかには、デシやニェミェツが名付けた『外発的抱負』―例えば、金持ちになりたいとか、有名になりたいなど―つまり『利益志向型の目標』を抱く者もいた。一方、『内発的抱負』―ほかの人の人生の向上に手を貸し、自らも学び成長したい―つまり『目的志向型の目標』を持つ者もいた。この学生たちが卒業して、現実の世界へと羽ばたいてから一、二年後に、学生たちの様子を知ろうと三人の学者は足取りを追った。

     

    学生時代に目的志向型の目標を持ち、それを成し遂げつつあると感じている者は、大学時代よりも大きな満足感と主観的幸福感を抱き、不安や落ち込みはきわめて低いレベルだと報告された。これは驚くにはあたらない。自分にとって意義のある目標を設定し、それを達成しつつある。このような状況では、誰もがかなりの満足感を覚えるはずだ。

     

    だが、利益志向型の目標を抱いていた者の結果は、もっと複雑だった。富を蓄積したり、称賛を得たりするなどの目標を達成した卒業生は、学生時代よりも満足感や自尊心、ポジティブな感情のレベルが増しているわけではなかった。目標を達成したにもかかわらず、以前よりも幸せになっている様子はなかった。

     

    そのうえ、利益志向型の目標を抱いていた卒業生は、不安、落ち込み、その他のネガティブな指標が”強まった”こともわかった―重ねて指摘するが、目標を達成しているにもかかわらず、である。

     

    (中略)

     

    この謎―満足感を得る為には目標設定だけでは十分ではない。正しい目標の設定が必要だということ―を理解出来なければ、良識ある人でも自滅の道をたどるおそれがある。利益志向型の目標を追い求め、それを達成したのにまだ満足できないと感じるとき、目標の規模と領域を拡大しようとするからだ。いっそう高い報酬や他者からの承認を求めるようになる。

     

    利益

     

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    ショーペン・ハウエルは言った。

    『富は海の水に似ている。それを飲めば飲むほど、のどが渇いてくる。』

     

    ハーバード大学で学士号を取り、スタンフォード大学で博士号を取得したソニア・リュボミアスキーの著書、『幸せがずっと続く12の行動習慣』にはこうある。

     

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    苦難の連続でも幸せなアンジェラ

     

    34歳のアンジェラは私がインタビューした中でも、最高に幸せな一人です。しかし、彼女がこれまでどれほどの苦難を耐え抜かなければならなかったかを知ると、簡単に『幸せだ』なんて思えませんでした。

     

    アンジェラはカリフォルニア南部で成長期を送り、母親から心と体の両方に虐待を受けていました。しかも、父親は見て見ぬフリでした。おまけにアンジェラは10代の娘としては太り過ぎで、学校の仲間からも白い目で見られていました。

     

    アンジェラが高校2年生のとき、母親は乳がんだと診断されました。それによって病気がちの母親からの肉体的な虐待は収まりました。けれども精神的虐待は増すばかりでした。とうとうアンジェラは耐えきれなくなり、知り合ってからわずか3か月の男性と結婚して家を出たのです。彼女と夫はカリフォルニアの北部へ引っ越しました。その4年間のうちに、娘のエラが産まれました。しかし、その後、アンジェラは離婚してカリフォルニアへ戻り、いまもそこに住んでいます。

     

    現在のアンジェラはシングルマザーで、経済的には楽ではありません。元夫は娘を訪ねても来なければ、養育費を払ってもくれません。ささやかな過程を扶養する為に、アンジェラはいろいろな職に就きました。

     

    この前の転職では、とうとう彼女の理想の仕事であるエステティシャンになれたのですが、突然解雇され、希望は消え去り、生活も苦しいままでした。そのため、彼女はやむなく破産申請をして、しばらくは生活保護を受けなければなりませんでした。しかし、そんななかでもアンジェラは、現在、大学生となり看護師の資格を取るために勉強しているのです。

     

    これほどの出来事やさまざまな困難を経験したのに、アンジェラは自分がとても幸せだと思っています。かわいくてたまらない娘のエラが、尽きることのない喜びを与えてくれるのです。

     

    (中略)

     

    普通はアンジェラのような人生を送ったとしたら、誰もが彼女とは正反対の不幸な人々を思い浮かべるでしょう。

     

    子供

     

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    彼女のような波乱万丈な人生を送る人間でも、足るを知るならば、富むのだ。

     

    本にはこうもある。

     

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    感謝の気持ちを表す

     

    (省略)

    感謝とは、物事を大切に味わい、それを当たり前だとは思わず、現在に価値をおくものです。ネガティブな感情の解毒剤であり、ねたみや強欲、敬意、不安、いらだちを中和させるものでもあります。普通、感謝といえば、何かをもらったり恩恵を受けた時にお礼をいうことと単純に結び付けがちです。けれども、私は読者の皆さんには、感謝の定義をもっと幅広く考えていただきたいと思います。

     

    世界的に有名な感謝についての研究者で、作家でもあるロバート・エモンズは、感謝を『生きていることへの驚きや有難味、そして価値を感じること』だと定義しています。たとえば、かつての恩師に電話して、人生の岐路で自分を導いてくれたことにお礼を言う。子供と過ごす時間を愉しむ。自分の人生におけるよいところを全て思い出す。などの行為を通じて、『今、自分がどれほど幸福な環境にいるか』ということ、(または、どれほどひどいことになっていたかわからないということ)を認識して、有難味を感じることができるでしょう。

     

    最近では、感謝にさまざまな恩恵があることが注目され、新しい研究が始まっています。感謝の念を決して忘れない人はそうでない人に比べて、より幸福で、よりエネルギッシュで、より希望に満ちていることがわかっています。そしてポジティブな感情を抱きやすいことが報告されています。

     

    さらに、あまり感謝の気持ちをもたない人よりも、人を助け、共感でき、信仰心に厚く、寛大で、さほど物事に執着しない傾向があることも明らかになっています。さらに、感謝をよく示す人ほど、落ち込んだり、不安になったり、孤独を感じたり、嫉妬したり、ノイローゼになりにくいことがわかっています。

     

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    足りないと思う以上は、足りない。そして、足りると思えば、足りるのだ。

     

    『PRESIDENT』、2016.4.4号にはこうある。

     

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    禅の金言36

     

    『知足安分(ちそくあんぶん)』

     

    自分の分限を知り、満足を知れば、心安らかに暮らすことができるという意味。お金もモノもないよりあったほうがいいですが、多ければ多いほど幸せになれるわけではありません。

     

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    同じく同書にはこうもある。

     

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    禅の金言36

     

    『放下着(ほうげじゃく)』

     

    いっさいの執着や思慮分別を放り捨てなさいということ。悩みが生まれる原因は、何かにとらわれているから。執着心を持たないのは難しいですが、減らすことは可能です。

     

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    更なる禅の教えにはこうある。

     

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    禅の金言36

     

    『本来無一物(ほんらいむいちもつ)』

     

    欲望は留まることなく、しかも一度手にした物や地位は手放したくない。しかし、生まれてきたときは何も持っていません。裸一貫こそが本来の姿なのです。

     

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    老子、孔子、そして釈迦が説いたのだから、この禅の教えがその釈迦らの言葉と同じ的を射ていることはごく自然である。とにかく、この世界のどこに目を向けようと、必ずこの真理にぶち当たることになる。

     

     

     

     

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    著者:一瀬雄治 (Yuji Ichise)

     

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    『足るを知るは富む。足るを知らぬは貧しい。』(2ページ目)


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