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ソクラテス『死を逃れることよりも、邪悪な心から逃れる方がはるかに難しい。』

古代ギリシャ哲学者 ソクラテス画像

内省

『死を逃れるためにどんなことでもする覚悟があれば、そしてその場に応じて相手を喜ばすような言葉や行動を取れば、死を逃れる方法はたくさんある。』

 

例えば、きわどい話過ぎてあまりスラスラとキーを打つ手が進まないが、頼りになる周りにいる男性の全員が殺されてしまったとする。残された女性は、普段気立ての良い、誰からも愛される素敵な女性だ。だが、そんな究極の場面で女性が取る行動は、どういう行動だろうか。

 

もちろん、『舌を噛み切って死ぬ』という選択肢もある。だが、皆が皆、そういう行動を取れるだろうか。『それ』をして生き延びれるなら、『生きる』選択肢を取らないか。人間が究極の場面で取る行動は、矜持的な理性か。あるいは、自己防衛本能的な衝動か。

 

身の毛もよだつ話ではあるが、実際にそういうことがあるケースは極めて稀だ。だが、戦争中なら別に当たり前の光景だった。作家の五木寛之氏は著書『大河の一滴』でこう言っている。

あるシベリア帰りの先輩が、私に笑いながらこんなことを話してくれたことがある。

『冬の夜に、さあっと無数のシラミが自分の体に這い寄ってくるのを感じると、思わず心が弾んだものだった。それは隣に寝ている仲間が冷たくなってきた証拠だからね。シラミは人が死にかけると、体温のある方へ一斉に移動するんだ。明日の朝はこの仲間の着ている物をいただけるな、とシラミたちを歓迎する気持ちになったものだった。あいだに寝ている男が死ぬと、両隣の仲間にその死人の持ち物、靴や下着や腹巻や手袋なんかを分け合う権利があったからね。』

 

前述した『究極の場面』を嘲笑った人間は、気を付けた方が良いかもしれない。 『死』を逃れるために人は、なんだってやる。

 

 

注意

※これらの言葉は参考文献『これならわかるソクラテスの言葉』や史実に基づき、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

関連する『黄金律

『人間が戦うべき相手は外にはいない。「内」にいるのだ。』

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