名言を自分のものにする

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カテゴリー『雍也』

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、オーナーが独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

 

 

『多岐亡羊。それはこういう意味だ。キツネに勝ったのは、ハリネズミだということ。』

 

第六-十四:曰わく、澹台滅明なる者あり、行くに径に由らず。

『ビジョナリー・カンパニー②飛躍の法則』には、『ハリネズミの概念』という概念について、説明している。容姿端麗で、才能豊かなキツネと、ハリを出すことしか能がないハリネズミの話だ。

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『適材適所がある。弓使いが前線に居ても使い物にならないだろう。』

 

第六-二十一:子曰わく、中人以上はもって上を語ぐべきも、中人以下はもって上を語ぐべからざるなり。

孔子の『適材適所』な考え方とは違って、弟子の孟子は、すべての人間の能力は生まれながらにして等しいものであるとの前提に立って自説を展開している。『人間に生まれついていながら正義を行えないという者は、自ら人間であることを否定しているのだ。』

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『知者は楽しみ、仁者は寿ぐ。』

 

第六-二十三:子曰わく、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。

寿ぐ(ことほぐ)というのは、言葉で祝福するという意味だ。知者は楽しみ、仁者は寿ぐ。つまり、知者は自分の楽しませる方法を心得ているが、仁者ともなると、更には周囲の者まで楽しませることが出来る。

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『弟子の孟子が自暴自棄という言葉を創った。それに当てはまらない者はいるか?』

 

第六-十二:子曰わく、力足らざる者は、中道にて廃す。今、女は画れり。

かつて私は、18歳になるかならないかの頃、助言をした友人に、こう言われたことがある。『あなたの発言はいつも、本当に為になります。良いことを言ってくれているというのはわかります。

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『人間の道は逸れて歩くことが出来る。ということは、逸れずに歩くことが出来るのだ。』

 

第六-十七:子曰わく、誰か能く出ずるに戸に由らざらん。なんぞこの道に由ることなきや。

人の道というものは、見えない。どう歩いていけばいいかわからないから、皆、迷って、踏み外して、逸れて、ときに道の外を歩く。そして『道の外』を歩く人間はこう言われる。『外道』だと。

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『本当の人助けとは、自立の支援だ。育児と教育の違いでも、それはわかることである。』

 

第六-三十:仁者は己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。

育児とは、乳幼児を育てるような教え方だ。教育とは、心身共に望ましい姿に成長させるために働きかける教え方だ。育児と教育は違う。『愛しているから』という大義名分を詭弁に使い、これを混同させる人間が多い。

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『”楽しむ”ことが人間が受けられる最高の賜物だ。”楽”をすることとは違う。』

 

第六-二十:子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。

『知行合一』という言葉がある。『知っている』だけでは、知識があるとは言えない。その知識に則って、『行動する』ことで初めて、『知識がある』と言えるのである。知識と行動が伴って初めて、『知識』となるということだ。

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『神を”尊敬”はしても、”崇拝”はするな。』

 

第六-二十二:子曰く、民の義を努め、鬼神を敬してこれを遠ざく、知と謂うべし。

なるほど。私は孔子(論語)の言葉と向き合って内省をしているだけで、孔子が行う『儒教』がどういうものかなど、一度も考えたことがなかった。その他の宗教と同じく、なんらかの神がいて、それを奉り、崇拝する宗教の一つだと思っていた。

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