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孔子『見ているときに頭を下げるのは当たり前だろう。問題は見ていないときにそれが出来るかだ。』(超訳)

儒教の始祖 孔子画像

内省

礼儀を重んじている様に見せたい人は、人が見ているとき、あるいは見ているかもしれないとき、見られる可能性のあるときには、人は頭を下げるだろう。問題は、見ていないときにそれをしているかどうかだ。

 

孔子は、

 

と言って、表面的な挙措動作に重きを置かなかった。それはそうだ。表面では頭を下げてヘラヘラしておいて、実際の部分では、

 

(ちっ、早く消えろよ馬鹿が)

 

などと思っている人間に、礼儀などあるわけがないだろう。もちろん、それを『やらせる側』にも責任はある。見ていない時にでも頭を下げたくなるような人生を生きていなければ、およそそんなことにはならないのだから。

 

義務もないのに、去りゆく背中に思わず深々と頭を下げ、あるいは敬礼をして見えなくなるまで動かないというシーンをたまに見る。本当に、人が礼儀を正したいと思うのは、そういうシーンなのである。

 

 

注意

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、運営者が独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

参照文献

郷党第十-十一

人を他邦に問えば、再拝してこれを送る。

関連する『黄金律

『真の礼儀とは。』

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