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キリスト『”言葉”の取扱者たる資格があるか自問せよ-②』(超訳)

キリスト教の礎 イエス・キリスト

内省

その①がこの記事だ。

 

言葉というものは『火』と同じ。相手を暖めることも出来れば、火傷させることもできる。馬を操るときは轡をはめればよい。口に小さな轡ひとつはめておきさえすれば、大きな馬であってもその全身を制することができる。

 

また風を受けて動く船は、小さな舵一つがその行先を決めることが出来る。深く広い森を燃やすためには、ほんの小さな火があればよい。同じように、人間の舌はごくごく小さなものだ。だが、その小さなもので、人を暖めたり、火傷させたりすることが出来る。そして当然、自分が大火傷することもある。そう考えたら、言葉に取扱者の資格がないことの方が、おかしいと考えた方が良い。

 

 

注意

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、運営者が独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

参照文献

聖書

ヤコブの手紙 第3章。

関連する『黄金律

『自分のものに出来ない知識は、自分の知識とは言えない。』

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