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ブッダ『歪んだ愛情は、文字通り人の人格を捻じ曲げる。』


ブッダの言葉


仏教の開祖 釈迦(画像

 

私にとっても大きなテーマだ。 避けて通れないテーマ。『歪んだ愛情』とは、あまりにも大きく、そして重大なテーマである。人は、『愛』こそがすべてだ。愛の絶大なる力は、皆よく知っていることだろう。愛を知らない人間も、愛を知れば救われる。そういうことを人間は、何度も目にして、耳にしているだろう。だが、それこそが、人間に大きな誤解を生む一つの要因になっている。

 

例えば、『愛しているからいいじゃないか』 といって、 DVや虐待、強姦や監禁、この先は考えたくもないような残忍な事件が起きている。彼らからしたら『愛』だと言うのだ。

 

また、『愛しているからやっているのよ』 といって、 強要や無理強い、軟禁や束縛、ストーカー殺人に発展した事件はあまりにも無残だ。

 

日本中が知っている『ある事件』がある。軽率に名前も出すわけにはいかない、残忍な事件だ。その人間は、無実の少女を誘拐し、家に一か月以上監禁し、暴行し、殺害した。その時、犯人の親は何をしていたかというところが、 今回のテーマが重大だと言った理由だ。

 

なんとその親は、その少女が監禁されていることをうっすらと知りながら、少女を含めた皆で食卓を囲い、食事をしたというのだ。

 

その親の気持ちを理解できない人間の方がもちろん多いだろう。だが、理解できなくもない人間も、いるのではないだろうか。

 

愛しているのだ。親は子供を、溺愛している。たった一人の自分の子供だ。どうしようもない人間でも、唯一無二。自分はいずれ死に、皆もいずれ死ぬ。私は愛されなかった。だからこの子だけは愛したい。そういう気持ちは、『本当の愛』を知らない人間が子供を産めば、よく沸き起こる感情だろう。

 

だが、それは『歪んだ愛情』である。

 

それは『愛情とは呼べない』のである。

 

私も同じく、『歪んだ愛情』を受けて育った。だが、親は『歪んでいない』と確信していた。だが、私は『歪んでいる』と確信していた。

 

どう考えても、子供の私の方が不利だった。見識も未熟だろうし、知識もボキャブラリーもない。相手を言い負かす度胸もなければ、意志の強さもない。だがそんな中、それをいいことに自分の正義を強要する親を私は、信用できなくなった、というのが決定的な事実だ。

 

だが同時に、親は私を愛していることは、知っていた。だから、やり場が無かった。やり場のない怒りだった。波乱万丈な人生を20数年生きて、実に数えきれないほどの葛藤を繰り返し、 私はある考えに達した。それは、

 

『育児と教育は違う』

 

ということである。これを提唱しているのは今のところ他で見たことが無い。私がたどり着いた答えだ。

 

『育児』とは、乳幼児を育てる、という意味である。

 

『教育』とは、 ある人間を望ましい姿に変化させるために、 身心両面にわたって、意図的、計画的に働きかけること、という意味である。

 

そして二つにある共通点は、二つとも『愛』があるということだ。だが、これが『歪む』場合があるのである。

 

あの犯人の親がやっていたのは『育児』だ。およそ『教育』など出来ていないのは誰が見てもわかるだろう。彼の親をかばった人から見ても、これに関しては反論がないはずだ。

 

とっくのとうに、乳幼児ではないのだ。積木あたりを口にしてしまったときに言う、『ダメよ』とほのめかす程度のしつけを、子供が成長しても、やめれられない。これは『育児』だ。『教育』とは決して呼べない。

 

『『ある』からといって与えてはいけない』のだ。

 

そして私の親も『育児』をしていた。宗教を強要していた私の親は、私のことを心配してくれていたのだ。だが、私の心は最初から宗教など求めていなかった。

 

自分の人生で宗教に救われた。だから、自分の息子であるこの子も、必ず今のうちから『保険』をかけておかなければ、私たちの子だ、同じように人生を生きる意味を見失ってしまうだろう。そう考えたのだ。だが私は宗教は求めていなかったし、今も求めていないのが決定的な事実だ。

 

確かに親は偉大だ。親がいなければ子は存在しない。だが、『育児と教育』の違いを知らない親は、愚かである。

 

偉大な親とは、『教育が出来る親』のことなのである。そうじゃなければ、子を産んですぐに棄てた親も、偉大になってしまうだろう。もっとも、そういう人間は『親』と呼ぶには値しないが。

 

育児するのは幼少期のほんのわずかな間だけだ。つまるところ、教育が出来ない親たちは、 いつまでも赤ん坊の笑顔が忘れられない、子離れできない親なのである。

 

彼らの気持ちは尊い。『愛』を与えるどころか、育児放棄をする人間だって、子を棄てる人間だっているのだ。だが、同じく『歪んだ愛情』を強要する親も愚かなのだと知ることは、人生に大きな衝撃を与え、そして親と子両方に、大きな喜びを見出すだろう。

 

『自分の意見は正しいんだ。曲げる必要はないんだ』。

 

スムーズにいかないのにもしそう思うなら、もしかしたらその愛は『歪んでいる』のかもしれない。なぜなら『愛』とは、エゴ(押し通すもの)ではなく、『与えるもの』だからだ。

 

相手に『権利』を、『自由』を与える。相手が自由を奪われる結末に誘導したのなら、そこに、愛はなかったのだ。

 

 

参照:法句経212

 

※これらの言葉は参考文献や史実に基づき、オーナーが独自の見解で超訳し、自らの生きる糧、自らを戒めるため、内省の為に日々書き留めたものです。史実を正確に把握したい方は正当な書物をご覧ください。

著者:一瀬雄治 (Yuji Ichise)

 

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